ウマ娘の初代主人公・スペシャルウィーク。その数奇な運命、武豊との出会い、ダービー優勝

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by AFLO

 実在の競走馬を擬人化した"ウマ娘"を育成するスマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」。このコンテンツは、2021年にゲーム化される前、アニメシリーズが2期にわたり放映されていた。

 そして、その第1期アニメで主人公を務めたのが「スペシャルウィーク」である。

ダービーは勝てないと言われた武豊を優勝へと導いたスペシャルウィークダービーは勝てないと言われた武豊を優勝へと導いたスペシャルウィークこの記事に関連する写真を見る"ウマ娘のスペシャルウィークは、生まれてすぐに母を亡くし、育ての母から厳しいトレーニングを受けて成長した""小さい頃から人間に囲まれていたために、他のウマ娘と接する機会がなかった"という設定はアニメではよくありそうな話だが、決して創作ではない。

 この設定は、モデルとなった競走馬・スペシャルウィークの生い立ちを反映している。そして、そんな数奇な運命を辿ったサラブレッドが、名手・武豊騎手に初となるGⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)のタイトルをもたらしたのだった。

 1995年5月2日に生まれたスペシャルウィークは、その5日後に母のキャンペンガールを亡くした。牧場は"育ての母"として乳母馬をあてがったが、この馬の気性が激しく、世話をしないこともあった。そこでスペシャルウィークは、小さい頃からスタッフの人たちが手をかけて育てていった。普段は、他の馬から離れて1頭でいることも多かったという。一方で、その育ちから人によく懐いた。

 やがてデビューしたスペシャルウィークは、3歳(当時の表記は4歳)となった1998年、この世代の主役として大活躍した。何より当時、競馬界の七不思議のひとつとさえ言われた「武豊はダービーを勝てない」という言説に終止符を打ち、この人馬のコンビでダービータイトルを手にすることとなった。

 武騎手がダービーを5勝した今となっては信じられないが、この天才ジョッキーにとって、競馬界最高峰とされるダービータイトルは鬼門だった。騎手デビューから軒並み大レースを制する中、ダービーは9連敗。特にスペシャルウィークの2年前、1996年には圧倒的1番人気(単勝オッズ2.3倍)のダンスインザダークで勝てるかと思いきや、7番人気フサイチコンコルドにゴール前で強襲され、2着に沈んだ。

 武豊はダービーを勝てない――。そう言われるなか、スペシャルウィークは武騎手とのコンビでデビューし、4戦3勝、重賞2勝の成績で3歳春を迎えた。目指すは3歳馬が世代限定で挑む三冠クラシック(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)。その頂点にダービーがあった。

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