エリザベス女王杯と聞いて思い出す「ベガはベガでも、ホクトベガ!」 (3ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 この時の作戦が、直線でのイン急襲。かつて"神様"と言われた競馬評論家が「強い馬は外からかわす。弱い馬はインをつく」と語ったことがあるが、まさにその"弱者の戦法"によって、グリーングラスは下馬評を覆して見事に栄冠を手にした。

 この、グリーングラスと同じ戦法をホクトベガも取った。

 幸いなことに、1枠1番という絶好枠を引いたホクトベガ。それを利して、道中は馬群の内で息を潜め、じっくりと脚をタメる。そして、迎えた最後の直線、加藤和宏騎手が乗るホクトベガは最内に進路を取りながら、タメていた脚を一気に爆発させた。

 この作戦が見事にハマった。

 ホクトベガは、2着に1馬身半差をつけて快勝。「GIでは決め手不足」と言われた評価が、まったくウソのような変身ぶりだった。

 この時、ベガはホクトベガから3馬身半差の3着に沈んだ。

 ベガとホクトベガがともに走ったのは「牝馬三冠」レースのみ。結果は、ベガの2勝1敗だったが、最後の最後、秘策を尽くして勝ったホクトベガの1勝が何より印象深い。

 生涯を通じて、ホクトベガが芝のGIを勝ったのも、このエリザベス女王杯の一度きりだった。

 その後、古馬となっても重賞戦線で奮闘を重ねたホクトベガ。6歳になってからは、ダートを主戦場に移した。それからは、ダート重賞(地方交流も含む)では9戦9勝と、向かうところ敵なしの活躍を見せる。牡馬トップレベル相手に勝ちまくり、「砂の女王」の名をほしいままにした。

 しかし7歳となって、引退レースとなるはずだったドバイワールドカップ(UAE・ダート2000m)で、レース中に転倒し骨折。予後不良となった。

 その一報に日本中の競馬ファンが悲しみに暮れた。だが、芝でも、ダートでも一線級の活躍を見せたホクトベガの名は、競馬史において、その名のとおり"一等星"の輝きを放っている。

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