エリザベス女王杯と聞いて思い出す
「ベガはベガでも、ホクトベガ!」
「ベガはベガでも、ホクトベガ!」
秋が深まり、GIエリザベス女王杯が近づくと、この実況アナウンサーの名ゼリフを思い出す。
多くの競馬ファンの記憶に残っている「名馬」ホクトベガ 1993年11月14日、京都競馬場。
当時、まだGI秋華賞(京都・芝2000m)は創設されておらず、芝2400mのエリザベス女王杯が3歳(※当時の年齢表記は4歳。以下同)の「牝馬三冠」最後の一冠を争うレースとして行なわれていた(※現在は3歳以上牝馬のオープン戦。芝2200mで行なわれている)。
この年、「牝馬三冠」戦線には、2頭の"ベガ"がいた。
1頭は、春シーズンにGI桜花賞(阪神・芝1600m)とGIオークス(東京・芝2400m)のクラシック二冠を遂げたベガ。エリザベス女王杯でも主役の一角に目されていた。中間の調整過程で順調さを欠いて、オークスからのぶっつけとなったことで2番人気に甘んじたが、注目度は一番高かった。
もう1頭は、ホクトベガ。春の桜花賞は5着、オークスは6着に終わり、前哨戦のGIIIクイーンS(中山・芝2000m)、GIIローズS(京都・芝2000m)でも2着、3着と勝ち切れず、9番人気と人気薄だった。伏兵の一頭ではあったが、さほど重要ではない"脇役"といった存在だった。
2頭の比較で言えば、どう見ても二冠馬ベガが優位だった。ところが、実際のレースでは大番狂わせが起こる。
その驚きを伝えたのが、「ベガはベガでも......」という冒頭の実況だった。
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