【競馬】GI制覇は関西馬ばかり。競馬界はなぜ「西高東低」なのか (2ページ目)

  • text by Sportiva

――現在は「西高東低」と言われて久しいです。いつ頃から関西馬のほうが強くなったのでしょうか。

秋山
 1980年代の後半くらいからです。その要因のひとつは、関西の栗東トレセンが、美浦トレセンができる9年も前に完成したことが挙げられると思います。関東よりひと足先に、充実した施設で馬の調教、鍛錬を重ねてきた成果でしょう。また、栗東トレセンには当時の美浦トレセンにはなかった坂路コースがあって、そこで鍛えられた馬が次々に重賞を制するようになっていきました。そして、1990年代には「西高東低」と呼ばれるようになっていましたね。

――すると、もう20年以上も「西高東低」時代が続いているわけですね。今でもその状況が変わらないのでは、どうしてですか。

秋山 今では美浦トレセンにも坂路コースが設置され、施設面では大きな違いはありません。美浦の施設もかなり充実しています。にもかかわらず、どうして関西馬がずっと強いのかというと、簡単に言えば、関西と関東では預託馬(厩舎に預けられる馬)の質がまったく違うんですよ。素質のある馬の多くが関西の厩舎に預けられているのが現状です。

 要は、1990年代からずっと関西馬が強かったわけじゃないですか。ダービーを例に挙げれば、1991年にトウカイテイオーが制してからは、関東馬が勝ったのは、サニーブライアン(1997年)とロジユニヴァース(2009年)の2頭だけ。ミホノブルボン、ナリタブライアン、スペシャルウィーク、ジャングルポケット、キングカメハメハ、ディープインパクト......、さらに最近もウオッカ、オルフェーヴルなど、ダービーを制した名馬は皆、関西馬。ゆえに、馬主さんのほとんどが「いい馬は、まず栗東へ」という意識があって、それが「西高東低」時代が長く続いている要因になっていると思います。

――そうした現状は今後も続くのでしょうか。

秋山 関東馬が結果を出さない限りは続いていくかもしれません。10年ほど前には、シンボリクリスエスやゼンノロブロイなど、関東馬が年度代表馬になりましたし、近年では関東馬のアパパネが牝馬三冠を獲得しました。ただ、それが継続していません。現状を打破するには、やはり毎年のように関東から強い馬を輩出していかなければいけないでしょう。それも、牡馬です。ダービーや天皇賞、ジャパンカップというビッグレースを勝つ名馬が、関東からどんどん出てこないといけない。

 そういう意味では、個人的には今年のクラシックが関東馬にとって久しぶりのチャンスだと思っています。GI朝日杯FSに続いて、前哨戦のスプリングSを制して皐月賞の最有力候補に名乗りを挙げたロゴタイプをはじめ、重賞2勝のコディーノ、そのコディーノを弥生賞で負かしたカミノタサハラ、それ以外にもレッドレイヴンなど、今年は素質のある馬が関西よりも関東のほうにそろっています。こうした馬たちがクラシックを勝てば、馬主さんの目も関東に向いてくるのではないでしょうか。美浦トレセンに入ってくる預託馬の質も上がっていくでしょうし、今の「西高東低」の状況に一石を投じることができるかもしれません。
(つづく)

秋山雅一(あきやま・まさかず)

  1955年7月28日生まれ。千葉県出身。父・史郎氏が中山競馬場で開業していた調教師で、美浦トレセンが完成した1978年に父の厩舎で助手として働き始める。1991年に調教師免許を取得し開業すると、翌年には18勝を挙げて優秀調教師賞を受賞。2001年には、富士S(クリスザブレイヴ)、七夕賞(ゲイリートマホーク)と重賞を制覇した。2011年、惜しまれながら引退。現在はトレセン近郊の育成牧場でその手腕を振るっている。

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