【競馬】引退・安藤勝己、「馬を動かす」技術が日本競馬を変えた
地方から中央に転身し、数々の輝かしい実績を残した安藤勝己騎手。「アンカツ」の愛称で親しまれた安藤勝己元騎手の引退式が、2月3日に京都競馬場で行なわれ、中央、地方合わせて37年間の騎手生活にピリオドが打たれた。
まもなく53歳を迎える安藤騎手。ここ数年は体力的な問題から意図的に騎乗数を減らしてきた。それでも、一昨年の桜花賞ではマルセリーナでGI勝利を飾るなど、まだまだ存在感を示していたが、アスリートとしての体力の限界は迫っていたのだろう。昨年の11月24日、京阪杯でパドトロワに騎乗したのを最後に、レースでその姿を見ることはなくなっていた。そして1月30日、「イメージどおりの競馬ができなくなった」と引退を表明した。
安藤騎手は2003年、地方の笠松競馬場(岐阜県)からJRA(日本中央競馬会)に移籍した。地方在籍時も含めて、JRA通算勝利数は1111勝。うち重賞81勝(GI22勝)という輝かしい成績を残した。GI22勝は、1984年にグレード制が導入されて以降、武豊騎手(66勝)、岡部幸雄騎手(31勝)に次いで3番目。まさしく、日本の近代競馬を支えた立役者のひとりだった。
多くのファン、関係者からも愛された騎手だった。騎乗技術に優れ、直線で馬を追う際の豪快な「風車ムチ」などは、プロの技としてファンを魅了した。そして、勝負に対しては厳しくも、普段は実直かつ穏やかな人柄で、関係者からは絶大な信頼を得ていた。
何はともあれ、安藤騎手が競馬界で果たした功績は計り知れない。なかでも特筆すべきは、やはり地方からJRAに移籍するという道筋をつけたことだろう。各メディアが報じたように、その点に関しては文字どおり「パイオニア」だった。
ただ、その「パイオニア」という言葉が、もっぱら「地方の騎手にとって......」と理解されるとすれば、やや口惜しい気がする。安藤騎手は地方競馬の後進たちに道を開いただけでなく、日本競馬の進化にも大いに貢献したと思うからだ。
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