2012.11.18

【競馬】パカパカファーム物語。
来日したばかりのアイルランド人を襲った苦難

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

パカパカファームで生まれた馬たちは、およそ東京ドーム53個分(250ヘクタール)という広大な土地でゆったりと過ごしている。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第3回

2001年の開場からわずか11年で、日本ダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)。この連載では、同牧場を開いたアイルランド人、ハリー・スウィーニィ氏のこれまでの物語をたどりながら、パカパカファーム成功の秘密を探っていく。今回は、来日初年度にスウィーニィ氏がぶち当たった苦難と、そこでの奮闘ぶりを追う――。

 1990年代の日本競馬を語るうえで、「タイキ」と名の付く馬たちの存在を欠かすことはできない。タイキブリザード(主な勝ち鞍=安田記念)に、タイキフォーチュン(主な勝ち鞍=NHKマイルC)、そしてマイルチャンピオンシップなど数々の国内短距離GIを制し、さらにはフランスのGIジャック・ル・マロワ賞も勝利したタイキシャトル。1990年に入ってから登場した”タイキ軍団”は、瞬(またた)く間に日本の競馬界を席巻した。

 タイキ軍団の競走馬は当時、国外で生産された馬が中心だったが、同時に日本にも生産拠点となる牧場が作られていた。1990年開設の『大樹ファーム』(北海道大樹町)がそれだ。そして、この牧場の場長兼獣医師としてアイルランドから招かれたのが、現在、『パカパカファーム』(北海道新冠町)で代表を務めるハリー・スウィーニィ氏である。

「私が来日したのは、1990年の4月4日。その日程が決まってから日本についていろいろ調べていると、ちょうど100年前の1890年4月4日に、ラフカディオ・ハーン(当時イギリス領だったギリシャのレフカダ島生まれ。日本名は『小泉八雲』。明治時代の随筆家・小説家。日本文化を西洋に伝えた文化人としても知られる)が来日していたことを知りました。そこに私は、何か運命的なものを感じましたね」