金田久美子「ダサい自分のままで終わりたくなかった」。11年ぶりの優勝を遂げた復活劇の舞台裏 (2ページ目)

  • 古屋雅章●取材・構成 text by Furuya Masaaki
  • photo by Getty Images

――最終的にはその川﨑選手を振りきって、11年ぶりの優勝を決めました。改めて振り返ってみて、ご自身で何がよかったと思われますか。

「(ここまで)諦めずにやってこられたことがよかったんでしょうね(笑)。

 2022年シーズンは、上位争いを演じることが何度かあったり、結構いいゴルフができるようになってきてはいました。それで、樋口久子 三菱電機レディスは4月のステップ・アップ・ツアー(Hanasaka Ladies Yanmar/3位タイ)と6月のアース・モンダミンカップ(7位タイ)に続いて、シーズン3回目の最終日最終組でのラウンドでした。そこで勝つことができたのは、過去2回のリベンジへの思いもあったかもしれないですけど、でもやっぱり、(調子が)悪かった時でも諦めずに(ゴルフを)やり続けてきたことが、(勝利に)つながったのかなと思います」

――「諦めずにやり続けた」という、そのモチベーションは何だったのでしょうか。

「一番は『このまま終わりたくない』っていうか、"ダサい自分"のままで終わりたくなかったというのがあった。また、(成績が)悪かった時もずっと応援してくれていた人もたくさんいたので、そういう支えてくれた人たちに『結果で恩返ししなければ』というか、『いい報告をしたい』と思っていたし......なんか、(いろんな思いが)たくさんありますね。

 あと、お父さんには、元気なうちに2勝目を見せたいと思っていたし。それに、私って(周囲から)叩かれるというか、『ろくに練習をしていない』とか、いろいろと言われることが多いから、そういう声に対して、見返してやりたいという気持ちもありました」

――"ダサい自分"というのは、どういったところですか。

「やっぱり成績も出せていないし、自分の思い描いていた理想のゴルファーに全然なれていなかったので。結果が出なくて、いいゴルフもできなくて悲観的になってしまって、そんな自分が『ダサいな』って思っていたから、このままで終わりたくなかったっていう感じです」

――自分が思い描いていた理想のゴルファーとは、どういったものだったのでしょうか。

「プロになってからはすぐにトントントンと勝って、25歳ぐらいの時にはたくさん稼いでいて、結婚して、子どもを産んでとか(笑)。でも、25歳を過ぎても全然うまくいかなくて、結果も出ていないから『納得するまでやりたい』というのがあって、その後も(ゴルフを)続けていて......」

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