金田久美子が振り返る「チーピンしか打てなかった」どん底の時期。ツアーで台頭する若手についても語る
金田久美子インタビュー(後編)
「天才少女」と騒がれた金田久美子も、すでに33歳。ベテランの域に達している。最近のツアーでは若手の台頭が目覚ましいが、彼女はそんな若手選手たちを、どう見ているのか。そして、ベテランとしてどう対抗していこうと思っているのか、話を聞いた――。
2023年シーズンでの活躍が期待される金田久美子この記事に関連する写真を見る――2011年シーズンにプロ初優勝を果たしますが、2014年シーズン以降はシード当落選上の成績が続きました。何か問題があったのでしょうか。
「まずドライバー。キャリーで160ヤードくらいと、全然飛ばなくなってチーピンしか打てなくなってしまって......。アイアンも広いグリーンであっても乗せることができなくて。さらにパターも、50センチ(の距離)が入らなくなってしまって......。
その状態から、自分のスイングとずっと向き合ってきて。今はだいぶイメージも変わって、(自分の)スイングができているかなって感じですけど、(当時は)本当に重症でしたね」
――パッティングは、以前は金田選手の武器だったと思いますが、そこまでの不振から元の状態に戻ることができたのでしょうか。
「(今も)戻らないですね。昔は勘というか、(パットの)ラインが自然に見えていたので、自分でラインを作って打っていたんですけど、それがなくなってしまって......。だから今は、打ちたいラインを決めて、そこに打ち出す練習をしています。でも今後は、(より精度を高めるために)違う練習方法だったり、違う考え方でやっていかなければいけないな、とは思っています」
――どん底というか、ひどいスランプ状態は何年くらい続いていたのですか。
「う~ん、6年ぐらいじゃないですか」
――そうした状態にあった時、何か支えになるもの、支えてくれた存在というのは、いましたか。たとえば、お父さんとか。
「(状態が)悪い時ですか? お父さんから、何か言われたかなぁ~? あまり温かい言葉をかける人じゃないからなぁ~。だから、いつも喧嘩していました。泣きながら練習していたら、『泣いているなら、やるな! 意味がない!』って言われたりして。休みたい時でも『体が疲れていて休みたくても、根性で乗りきれ!』というタイプですから。でも、ずっと支えてくれていたのは確かです。
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