2019.05.02

「平成のヒロイン」宮里藍の優しさが、
日本のゴルフ界を劇的に変えた

  • 古屋雅章●文 text by Furuya Masaaki
  • photo by Kyodo News

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2005年10月 ゴルフ 宮里藍 日本女子OP優勝】

歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

 平成に入って最初の10年間は、昭和40年代後半から日本ゴルフ界をけん引してきたジャンボ尾崎の全盛時代。1994年(平成6年)から5年連続で賞金王に輝くなど、多くのファンを沸かせて、国内男子ツアーの人気を支えていた。

 そうした流れが変わったのが、2003年(平成15年)。当時高校3年生の宮里藍がミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで優勝し、国内女子ツアーへの注目度が一気にアップした。そして、宮里藍が直後にプロ転向を果たすと、それから2年後には国内ツアーの人気が完全に逆転。以降、女子ツアーのほうが男子ツアーよりも脚光を浴びるようになって、現在に至っている。

 その女子ツアーへの人気を決定づけた試合が、2005年(平成17年)の宮里藍が優勝した日本女子オープンだった。

大観衆に見守られ、日本女子オープンの優勝を飾った宮里藍 神奈川県の戸塚カントリー倶楽部で開催されたその年の日本女子オープン。最終日には、2万1018人の大観衆が詰めかけた。2016年、人気プレーヤーの松山英樹、石川遼、アダム・スコットが予選ラウンドで同組でプレーし、最終的に松山が優勝した男子の日本オープンでも、4日間トータルの入場者数が4万5257人だったことを思えば、1日で2万人強という数字は、今もって驚きである。

 宮里藍が2位に6打差の首位で迎えた最終日、打ち下ろしの1番ホールはティーグラウンドからグリーンまで、ぎっしりとギャラリーで埋め尽くされていた。その後も、ホールとホールを結ぶインターバルには、人垣のトンネルができていて、宮里藍がその中を通っていくと、拍車と声援が飛び交った。

 それに応えるべく、帽子のツバに手をやる宮里藍の姿は、まるで声援に押し潰されないように、頭を低くして歩いているようにも見えた。それは、過去の日本ゴルフ観戦では見たこともない光景だった。

 思い出すのは、10番ホールでのこと。コースを取り囲むギャラリーの、ある親子3人家族の前を宮里藍が通った時のことだ。

 母親が3歳ぐらいの娘に対して「ほら、藍ちゃん、来るよ。『藍ちゃん、がんばって~』って、言ってごらん」とうながした。ところが、その娘は父親に肩車をされたままイヤイヤをした。「なんで、ほら、藍ちゃん、行っちゃうよ」と母親に再度うながされても、その娘は宮里藍を見ているだけ。声を出す勇気がなかったのだろう。