白熱の全米オープン、2位6度のミケルソンに歓喜の瞬間は訪れるか (3ページ目)
最初に2位になったのは、1999年大会だった。会場はパインハースト・リゾート(ノースカロライナ州)。現在は同コースを象徴する銅像にもなった、今は亡きペイン・スチュアートのガッツポーズを目の前で見せつけられて敗れ去った。
次は、2002年大会。ニューヨーク州のベスページ・ステートパークで、タイガー・ウッズとの一騎打ちの勝負となったが、ウッズの爆発力に屈した。3度目は2004年、シネコックヒルズGC(ニューヨーク州)でレティーフ・グーセン(47歳/南アフリカ)の後塵を拝した。
最も悔しい思いをしたのは、おそらく4度目の2位となった2006年大会だろう。舞台となったのは、ウィングドフットGC(ニューヨーク州)。最終日最終18番を迎えて、ミケルソンはパーでフィニッシュすれば栄冠を獲得できる状況にあった。
ところが、ティーショットを大きく曲げて、ギャラリーテントへと打ち込んだ。結果はダブルボギー。ジェフ・オギルビー(39歳/オーストラリア)に勝利を譲ってしまった。「僕はなんてばか者なんだ」と、頭を抱え込んだミケルソンの姿は今でも忘れられない。
その後、2009年のべスページ・ステートパーク(ニューヨーク州)、2013年のメリオンGC(ペンシルベニア州)で行なわれた全米オープンで2位に終わっている。ゆえに、ミケルソンの忸怩(じくじ)たる思いは計り知れない。そして今大会の前には、ミケルソンは自らに言い聞かせるようにこう語った。
3 / 4