【ワールドカップ】アフリカ勢は10チーム中9チームが決勝トーナメントと大躍進 背景に欧州育ちの選手たち (2ページ目)
【黒人選手の活躍】
欧州で初めて黒人選手たちが活躍したのはポルトガルで、モザンビークやアンゴラ出身の選手を擁した同国代表は1966年のイングランドW杯で3位に入った。同大会得点王となったエウゼビオもそのひとりだ。
しかし、その他の欧州諸国にはまだ黒人選手はごく少数で、1976年にカリブ海の島々グアドループ(フランス海外県)出身のDFマリウス・トレゾールがフランス代表主将に任命されたのは大きな驚きだった(今ではフランスはチームの多くが黒人だが、当時、黒人選手はまだ珍しい存在だった)。
一方、1970年代までアフリカ諸国のサッカーはまだ大きな存在ではなかった。
ブラックアフリカから初めてW杯に出場したのは、1974年西ドイツ大会のザイール(現在のコンゴ民主共和国)だったが、グループステージで3戦全敗、無得点で14失点。ザイールの入った第2組では上位3チームの試合はすべて引き分けに終わったため得失点差での勝負となり、ザイールから9点を奪ったユーゴスラビアが首位、3点のブラジルが2位、2点のスコットランドが3位という結果となった。
ブラックアフリカ諸国が存在感を発揮し始めたのは、1990年代前半のことだった。これが、黒人選手たちの衝撃"第2波"だ。
1990年のイタリアW杯ではミラノ・サンシーロでの開幕戦でカメルーンが前回優勝のアルゼンチンを破り、勢いに乗ったカメルーンは同大会でベスト8入り。そして、1994年アメリカW杯ではナイジェリアがグループステージを首位通過。ラウンド16で準優勝のイタリアに1対2で惜敗した。
ナイジェリアは2年後のアトランタ五輪でも、決勝でアルゼンチンを破って金メダルを獲得。「近い将来、W杯でもアフリカが優勝するのではないか」と言われた。
しかし、その後、W杯でのアフリカ勢の上位進出はなかなか実現しなかった。
身体能力では他を圧し、テクニックでも遜色なくても、戦術的に未熟だったり、ファウルが多くて自滅するチームが多かった。
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