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【欧州サッカー】ロベルト・バッジョを表紙にすれば即完売 ファンタジスタの呼称を定着させた「銭になる男」 (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【1993年にはバロンドールも獲得】

 さっそく映像を見てみた。

 肩のフェイクだけでマーカーを簡単にあざむく。意表を突いたスルーパスでゲーム全体を動かす。中距離のパスも正確だ。さらにFKの精度も高く、ペナルティボックス内にも絶妙のタイミングで姿を現した。

 そして、すべてのアクションがさりげない。フィオレンティーナの同僚だったドゥンガがなにかにつけてリアクションして周囲の失笑を買っていた分だけ、バッジョの自然体は神々しくさえあった。

 ただ、プロビンチア(イタリア語で地方のクラブ)の多くがそうであるように、多額の負債を抱えるフィオレンティーナも「カネの力」には抗えなかった。1990年イタリアワールドカップ終了後、バッジョはユベントスに移籍する。150億リラ(当時の報道では約16.5億円〜20億円)という移籍金は、経営難にあえぐフィオレンティーナにとって魅力がすぎていた。

「ふざけるなよ、ありえない」
「よりによってバッジョを!?」
「汚い手段を使ってでも阻止」

 多くのサポーターは抗議行動に打って出たが、決定が覆るはずもない。

「フィオレンティーナのサポーターと私は恋に落ちていた。その関係を知っていながら、移籍交渉は私が知らないところで進んでいく。邪推に基づくデマまで乱れ飛んでいた。釈然としなかったな」

 35年以上前の出来事を振り返るバッジョは、現在も納得していない様子だった。

 そんな事情があったにせよ、バッジョはユベントスでも光り輝いた。「ラ・ヴェッキア・シニョーラ(イタリア語で老貴婦人)」の異名を持ち、イタリア全土......いや、世界中で支持される超名門クラブの中心として活躍した。

 ポジションは最も得意とするトップ下。サルヴァトーレ・スキラッチ、ピエルルイジ・カシラギ、ジャンルカ・ヴィアッリ、ファブリツィオ・ラヴァネッリといったアタッカーを自在に操った。

 1992-93シーズンは21ゴールを挙げて得点王争いを演じ、UEFAカップ優勝の立役者にもなった。1993年にはバロンドールも獲得している。

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