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【欧州サッカー】ベンゲルが見つけた世界最高のボランチ ヴィエラこそアーセナル無敗優勝「真のMVP」

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第45回】パトリック・ヴィエラ(フランス)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第45回は、2000年代前後のアーセナル黄金期を支えたパトリック・ヴィエラを紹介したい。名将アーセン・ベンゲルはその才能を見抜いていた。2003-04シーズンの無敗優勝は、フランスが生んだ「世界最高の守備的MF」がいなければ成し遂げられなかった。

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パトリック・ヴィエラ/1976年6月23日生まれ、セネガル・ダカール出身 photo by AFLOパトリック・ヴィエラ/1976年6月23日生まれ、セネガル・ダカール出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る マンチェスター・ユナイテッドがプレミアリーグで一強の時代を確立しようとしていた1990年代の半ばに、敢然と立ち向かったフランス人の名将がいる。アーセン・ベンゲルだ。

「ベンゲル? 誰なんだよ?」

「日本の名古屋グランパスエイトとかいう無名のクラブを率いていたらしい」

「選手としての実績がまるでない」

 イングランドのメディアは辛辣だった。ベンゲルを小馬鹿にしていたといって差し支えない。ただ、彼は意に介さず、食生活の改善から取りかかった。

 練習後のランチに脂が滴り落ちるようなチキン、くどい味のドレッシング、さらにビール、炭酸飲料まで用意されていた事実に呆れ、アスリートに適したメニューに変更したことは、つとに有名なエピソードである。

 また、若手を積極的に登用した。

 パトリック・ヴィエラもそのひとりだ。

 1995年11月、カンヌからミランに移籍したが、定位置争いで苦しみもがいていた。マルセル・デサイー、デメトリオ・アルベルティーニが相手では分が悪すぎる。当時の彼らは世界有数の守備的MFであり、19歳のヴィエラでは太刀打ちできなかった。

 1995-96シーズンはわずか5試合の出場。続く1996-97シーズンに向け、アヤックスから届いたオファーを真剣に検討していた。

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著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

【図】FIFAワールドカップ2026出場国 フォーメーション&メンバー

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