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「バルサ愛」を貫き高額オファーを蹴ったカルレス・プジョル 名将ファーガソンは「恐れ入った」と脱帽 (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【プジョルは戻ってこなかった】

 プジョルは、チーム全体を操るコーチングも的確だった。ルイ・ファン・ハール、ラドミル・アンティッチ、フランク・ライカールトといったバルサの歴代監督も、次のように語っている。

「プジョルがいなければ、アタッキング・フットボールは成立しない」

 さらに、コンディション調整にも余念がなかったという。休養・体力の維持、フィジカルの向上、適度な栄養摂取、睡眠などの研究も怠らず、鋼の肉体を創り上げたそうだ。スポーツブランドとミーティングを重ね、機能性を追及したオリジナルのスパイクシューズを発注するなど、ストイックな姿勢を貫いた。

 身長178cmでもワールドクラスのセンターバックと絶賛されたのは、こうした努力の積み重ねである。

 メッシ、ジェラール・ピケ、セルヒオ・ブスケツなど、ラ・マシア(バルサの下部組織)育ちの選手たちは口を揃えた。

「プジョルこそが真のプロフェッショナルだ」

 スペインサッカーが誇る人格者のキャリアには、数多の栄光が刻まれている。ラ・リーガは5回、チャンピオンズリーグも3回の優勝だ。FIFAのチーム・オブ・ザ・イヤーには3回、UEFAの同賞には6回も選ばれている。スペイン代表では2008年のヨーロッパ選手権、2010年のワールドカップ制覇に貢献した。

 現役引退後は当然、バルサやスペイン代表の監督、コーチングスタッフのオファーも舞い込んだのではないだろうか。プジョルの人柄と輝かしいキャリアは、チームに団結力を注入する。

 ただ、2014年5月31日、スポーツディレクターを務めていたアンドニ・スビサレッタのサポート役としてバルサのフロントには入ったが、なぜか現場にはほとんど関与していない。

 志半ばで退陣したものの、2021年にバルサの監督に就任したシャビも、プジョルの入閣を検討していたという。

 それでも、彼は戻ってこなかった。2019年5月、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長(当時)がスポーツディレクター就任を要請した際も、「個人的なプロジェクトを優先する」と、古巣のオファーを断っていた。1年後にも「将来、私が参加できるプロジェクトがあれば」と語るに留まった。

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