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ディエゴ・マラドーナの記憶は永遠に 犯した罪は重くとも、世界のスターから愛にあふれる追悼メッセージが贈られた

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第5回】ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第4回のヒーローは誰もが知る存在──ディエゴ・マラドーナ。彼の魔法はあまりにも強烈で、それゆえに大きな副作用もあった。フットボールの歴史で最も「光と陰」を色濃く残した、彼のサッカー人生を振り返る。

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ディエゴ・マラドーナ/1960年10月30日生まれ、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身 photo by AFLOディエゴ・マラドーナ/1960年10月30日生まれ、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身 photo by AFLO 永遠に語り継がれるスーパースターなのか、あるいは稀代の裏切者なのか──。ディエゴ・マラドーナの評価は、真っぷたつに別れるのではないだろうか。

 1982年スペインワールドカップにアルゼンチン代表として現れた彼は、21歳の若さながら、すごみすら漂わせていた。小柄(公称165cm)で童顔の背番号10がボールを持った瞬間、対戦相手は恐怖に身がすくむ。

 2次リーグのブラジル戦では執拗なファウルに耐えきれず、相手MFバチスタの腹に蹴りを入れて一発退場。しかし、大会全体のパフォーマンスでは一世代上のミシェル・プラティニ、ジーコをしのぎ、ニューヒーローの座を確実なものにした。

 そして1986年のメキシコワールドカップでは、世界中から注目された。準々決勝のイングランド戦である。誰もが知る「ゴッドハンド(神の手)」だ。VARのない時代だからこそ認められたゴールであり、マラドーナの左手首は明らかにボールをヒットしていた。

「故意じゃないけれど、ハンドだってわかってはいたよ」

 のちに本人も認めている。

 一方、イングランドGKピーター・シルトンは、今でも怒りを禁じえない。「なんて卑怯な男なんだろうね。あのプレーは絶対に認めない」。ただ、伝説の"5人抜き"には「さすがというしかない」と脱帽している。

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著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

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