チャンピオンズリーグ・バイエルン戦の激闘を旗手怜央が生々しく語る「キミッヒににらまれ続けた」 (3ページ目)
【キミッヒとの180分】
一方、試合に負けた分際で何を言っているんだと思われるかもしれないけど、個人的には選手として充実した180分間だった。
4-3-3の左インサイドハーフで出場した自分は、180分間を通して、相手のボランチであるヨシュア・キミッヒににらまれ続けた。
バイエルンと対戦するに当たって、第1戦の直前に戦っていたブンデスリーガでのブレーメン戦や、第2戦の直前に戦っていたレバークーゼン戦を見て、イメージを膨らませていた。その試合を見る限りでは、バイエルンが誰かをマンマークするといったケースは見られなかった。
そのため、自分をそこまで警戒してくることはないだろうと思っていたが、第1戦がキックオフしてすぐにキミッヒと対峙して、「これはマンマークでつかれるな」と理解した。
それからの180分間は、キミッヒとの戦いでもあった。自分が動いたら、キミッヒはどこまでついてくるのだろうか。また、どこでボールを受けたら、キミッヒのマークをかいくぐれるのだろうか。その駆け引きと、だまし合い、化かし合いの連続は、レアル・マドリードと対戦した時にルカ・モドリッチと対峙して感じたのと同じく、選手として燃える気持ちやワクワク感になった。
マークされて感じたキミッヒの嫌らしさは、(相手の)攻撃時は自分がプレスを掛けられないところにポジションを移動させる巧みさだった。こちらがチームとしてプレスを掛けにくい位置を見つけ出し、そこにスーッと入っていきボールを受ける嫌らしさがあった。
プレスを掛けたくても、チームとしての約束ごとや決まりごとがあるため、プレスにいきにくく、対応の難しさを感じた。それはまるで、「ここだと、お前はプレスに来られないだろ? わかっているぞ」と言わんばかりだった。
また、キミッヒのマークを回避して自分がボールを持った時は、自分が前進したいスペースをうまく消された。たとえ、パスを出せたとしても、さらに次の局面でボールを受けようとする位置を埋められ、自分が攻撃に関われないようにされる巧さがあった。
あとは、当たり前のことだが、よく走る選手だった。自分自身、第1戦も第2戦も13km以上は走っていたが、彼の運動量や走行距離はそれ以上なのではないか。そう思うほど、ありとあらゆる局面に顔を出していた。セカンドボールへの反応も速く、マッチアップしたからこそ、選手としての賢さを感じた。
そのキミッヒをいかにして欺こうと、ああでもない、こうでもないと試行錯誤した180分間は、選手として刺激的で、ある意味、至福の時間だった。
プレーオフ2試合を通じてキミッヒににらまれ続け、全く自分らしさが出せなかったかというと、決してそうはならなかった。シュートを打った場面や、決定機につながるパスを出せた場面もあるなど、チームの攻撃に絡み、チャンスにつながるシーンをいくつも作り出せた。
この距離間ならば自分のプレーができる。このあたりではフリーになれる。キミッヒの動きを視野に入れながら、そうした感覚をつかめた機会は、自分としても今後につながる貴重な時間になった。
ただし、これをいい経験として終わらせてしまうのは違うと思っている。できた部分があった一方で、できなかった部分に目を向け、改善していくことで、今回の経験も生きてくると思っている。
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