中田英寿が在籍したパルマの本拠地「スタディオ・エンニオ・タルディーニ」 現在は鈴木彩艶が奮闘 (3ページ目)
さらにスタジアムの資金を集めるため、タルディーニは自分の持っていた土地を市に売却。最初のふたつのプロジェクトは検討されたものの採用されず、最終的にフランスやドイツのスタジアム、特にフランスのリヨンにあるスタッド・ジェルランから影響を受けつつ、パルマの歴史を称えるデザインで落ち着いた。
1922年12月、スタジアムの建設に着工したが、タルディーニは落成前の1923年8月16日に亡くなってしまった。当初は市営(municipal)だったため、スタディオ・ムニチパーレ(Stadio Municipale)という名になる予定だったが、1924年に完成した建設工事の最後に、結局、彼の名前が付けられた。現在でも見られる、アールヌーヴォー様式の正門は当時からあったという。ただファシズム政権の時代には、ポリスポルティーボ・ワルテル・ブランキ(Polisportivo Walter Branchi)という別の名前が冠されていた。
中心部から徒歩で30分ほどの街中にあるスタジアムは、昨年誕生100周年を迎え、1990年代初頭まで大きなスポーツ大会が開催されていなかったため、大規模な改修は必要なかった。だが、1990年、パルマは歴史上初めてセリエAに昇格したことで大きな影響を受けることになった。
それまでのスタジアムは13,500人ほどしか収容できなかったが、セリエAのリーグ規定で最低30,000人を収容しなければならなくなった。最初は代替施設を考えて、市外のバガンゾーラに新しいスタジアムを建設しようとしたが、この案は棚上げされ、1991年5月に、市営の「エンニオ・タルディーニ」の改修が決定した。
1991-92シーズンのコッパ・イタリアでパルマが優勝した後に北ゴール裏が、翌年には南ゴール裏が改修され、スタジアムのレイアウトは「楕円形」から「正方形」へと変貌を遂げた。
1990年代の工事終了時、スタジアムの総面積は36,725m?、高さは14m、競技場の面積は105m×68mであり、この寸法は当時から今も変わっていない。1997年の夏には29,200の座席があったが、クラブカラーである黄色と青の新たな座席が設置された。
2017年2月4日からは元会長の名を冠した「エルネスト・チェレシーニ・パルマ博物館」が併設され、クラブの歴史にまつわる数々の記念品が展示されることになった。そして2018年夏、パルマが3年ぶりにセリエAに復帰したことを踏まえ、ピッチは全面改修され、スタンドの全エリアにスタンダードシートが設置された。さらに2019年、パルマ市と合意に達し、屋根の追加と東スタンドの全面改装が行なわれた。
ただ昨年、クラブは市にスタジアムの大規模な改築案を提出しており、昨年建設から100年目を迎えた、パルマの栄枯盛衰を見つめ続けたスタジアムは解体され、新たな「スタディオ・エンニオ・タルディーニ」に生まれ変わる予定だ。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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