「レッドブル・アレーナ」 歴史ある街・ライプツィヒの新興クラブのホームスタジアム (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

 2020-21シーズンもリーグ戦で2位に入り、ドイツ杯では2021―22から2連覇を達成するなど一気に強豪クラブの仲間入りをした。
 
 実は、2000年代に入って、レッドブルは既存のクラブを買収することでドイツのスポーツ界に参入する計画を進めていた。ドイツサッカー界のレジェンドである故・フランツ・ベッケンバウアーは、友人であるオーストリア人オーナーのディートリヒ・マテシッツにライプツィヒのチームを買収するようアドバイスしたという。
 
 ライプツィヒは、ドイツサッカー連盟が設立された場所であり、ドイツサッカーの中心地のひとつ。また、ドイツ初の全国チャンピオンであるVfBライプツィヒの本拠地だった。その本拠地のツェントラールシュタディオンは、ベルリンのオリンピアシュタディオンに次いでドイツ東部で2番目に大きなサッカースタジアムだった。
 
 レッドブルは当初、FCザクセン・ライプツィヒ(現在は債務超過のため消滅)を買収しようとしたがドイツサッカー協会に承認されず、西ドイツのザンクトパウリやデュッセルドルフとも交渉したが失敗。その結果、 2009年5月、ライプツィヒから13キロ離れたアマチュアサッカークラブのSSVマルクランシュタットを35万ユーロで買収することを発表した。クラブの正式名称は「RBライプツィヒ」となり、ユニフォームは赤と白のレッドブル・カラーが採用された。
 
 ただしドイツサッカー協会の規約では、クラブ名に企業名を含めることは認められていないため、取締役会はRasenBallsport(ドイツ語で「芝生の上のボールスポーツ」の意)と名付けることを決定し、頭文字の「RB」は企業名の頭文字と同じとした。そしてRBライプツィヒがツェントラールシュタディオンを買収し、「レッドブル・アレーナ」と改名したというわけだ。
 
 もともとライプツィヒにあった旧スタジアム「ツェントラールシュタディオン(Zentralstadion/zentralは中央(centoral)の意)」は、東ドイツ時代の1956年に完成した。10万人を収容可能で、当時はドイツ最大のスタジアムだったという。国威高揚のために行なわれていた「スポーツ祭」や陸上競技、ライプツィヒにホームを置くクラブのサッカーの試合などが開催されていた。 
 
 1957年10月27日に行なわれたドイツ民主共和国(旧東ドイツ)とチェコスロバキア共和国の対戦は11万人もの観客が詰めかけ、1956年9月9日のSCローテーション・ライプツィヒ対ロコモーティブ・ライプツィヒにおける10万人の観客動員は、現在でもドイツ1部リーグの記録となっている。
   
 1990年に東西ドイツが統一された後の1994年、スタジアムは老朽化して状態が悪かったため閉鎖を余儀なくされ、1997年、同じ場所に新たなスタジアムが建設されることが決まった。

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