イタリアで最も熱狂するミラノダービーの地「サン・シーロ 」インテルと ACミランの本拠地~欧州スタジアムガイド~ (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【改修により8万人を超える収容人数に】

 第二次世界大戦後の1948年、インテルは創設以来使用し、戦時中は刑場にも使われ老朽化したスタジアムを離れ、ライバルであるACミランと「サン・シーロ」で同居することになった。そのため1955年、観客席の上部に2番目の観客席が作られた。この時の改修で2階席へ移動するための、現在でも見られるらせん階段が作られ、スタジアムはキャンディー型の景観になった。1979年、戦時中にミラノ市民に希望を与え続けた英雄・ジュゼッペ・メアッツァがその生涯を閉じ、翌年、彼の名を正式にスタジアムに冠した。
 
 イタリアでは2度目の開催となった1990年のワールドカップでは、当然、「サン・シーロ」は開催地のひとつとなり、大幅な改修が行なわれ、8万人を超える収容人数となった。その時に3階建てとなり、すべての座席に屋根が取り付けられることになった。そのため、新しい観客席を独立して支えるためのセメント製の11の円筒状タワーが完成した。タワーは、4つは網状の屋根を支える役割も果たしている。

 また座席も、メインを赤、バックをオレンジ、ゴール裏を緑とブルーと色分けされた。さらに芝生育成のためにグラウンド部分を覆う屋根を付けられず、ピッチには温度など[牧野4]のコントロール機能がつけられた。

 ライバル同士であるインテル、 ACミランの両クラブは、互いに独自のスタジアムを所有することなく、現在でも「カルチョの殿堂」と呼ばれる「サン・シーロ」に同居し続けており、両クラブで管理、運用をしている。両クラブで「サン・シーロ」を建て替え、あるいは改修していこうという構想が上がったり、インテルはサン・シーロの隣に新しいスタジアムを、ミランは郊外にそれぞれのスタジアムを作ったりという構想もあったが、これらの話は一向に進んでいない。

 2026年にミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックの開会式も行なわれる予定になっている「サン・シーロ」。このオリンピックが終わり、2032年の欧州選手権(イタリアとトルコと共催)までに、改修されて新しく生まれ変わるのか。それとも呉越同舟を止めて、インテルとACミランが互いに独自のスタジアムを所有する時代が来るのだろうか。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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