痛ましい過去と栄光が入り混じるユーロ2024決勝の地「オリンピアシュタディオン」~欧州スタジアムガイド (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

 また国際シーンだけでなく、国内リーグであるブンデスリーガが創設された1963年から現在まで、奥寺康彦、細貝萌、原口元気など、日本人選手も多くプレーしてきた「老貴婦人(Die Alte Dame)」ことヘルタ・ベルリンの本拠地として使われてきた。

 1892年創設の伝統あるクラブであるヘルタは、東ベルリンで16~17歳の少年たちによって誕生。何度かの合併を経て、1923年から現クラブ名となった。創設者のひとりによって決められた「ヘルタ」という名は、もともと北欧神話やゲルマン神話に出てくる神の名だが、その創設者が父親と一緒に乗った蒸気船の名前に由来しているという。エンブレムやクラブカラーもその船にちなんでいる。1930年代こそ2度の優勝を経験しているものの、まだブンデスリーガでの優勝はない。

 ただ60年以上に渡りオリンピアシュタディオンをホームとしてきたヘルタだが、その関係は今微妙な状況にある。ブンデスリーガで唯一専用スタジアムを所有せず、集客が乏しいクラブは、より小規模な自前のスタジアムへの移転を検討。しかしベルリン州政府はこれを阻止するためにオリンピアシュタディオンをサッカー専用競技場に改修しようとしたものの、費用面や陸上競技大会の実施なども考慮して、結局はトラックを外す計画は撤回された。

 ヘルタは2025年にオリンピアシュタディオンとの契約が切れる時点で、新スタジアムへの移転を考え、45,000人収容のスタジアムを作ろうと模索しているが、現在のところ進展は見られていない。いずれにせよ、政府や議会、ファンも巻き込んでその動向には注目が集まっている。

 今ではビールとソーセージを片手に、熱狂的なファンが集う場所となったが、痛ましい過去と、輝かしいスポーツの栄光が混じり合う、複雑な歴史をもつオリンピアシュタディオン。1936年のベルリン五輪からちょうど100年後にあたる2036年に、再び夏季オリンピックの開催地に名乗りをあげているように、ドイツにとって忘れてはならない歴史と、スポーツファンの栄光を物語るスタジアムとしてベルリンの地にあり続ける。

プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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