痛ましい過去と栄光が入り混じるユーロ2024決勝の地「オリンピアシュタディオン」~欧州スタジアムガイド (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

 1938年になるとスタジアムには防空壕と地下道が作られ、軍事兵器の製作所となった。そのため第2次世界大戦の終戦間際には、ソビエト連邦に一時占領され、その後、連合軍に接収された。戦後、比較的損傷の少なかったスタジアムは、1949年になり、ナチス政権の過ちを忘れないための記念碑として、重要文化財の指定を受けて西ベルリンに返還されている。

 1974年、サッカーW杯の西ドイツ大会時にも、当然、開催地として選出された。だが、当時の西ベルリンはアメリカ、イギリス、フランスの3カ国により管理されていたため、このスタジアムで開催された3試合(開幕戦の西ドイツ対チリ、東ドイツ対チリ、オーストラリア対チリ)はW杯で、唯一開催国以外で行なわれた試合とみなされている。

 2000年、2006年のW杯の開催地のひとつとして、このスタジアムも選出されたが、老朽化が進んでいたため改修が決まった。しかし、重要文化財指定を受けており、外観と基礎を残す必要があったため、あえて陸上トラックを残し、その欠点を補うために、ピッチ全体を約2.5m掘り下げて観やすさを確保。また、スタジアムの外観を損ねないよう観客席全体を覆う屋根の設置にも気を遣い、20本の細い支柱で支えることになった。

 結局、改修は4年の歳月と、約350億円の費用がかかったという。ちなみに、このスタジアムの特徴のひとつとなっているのが、ゴール裏の屋根に一部分だけ開いている部分で、それが「マラソンの門」と聖火台がある場所だ。特に改修に手間と費用がかかったという門の上部にはベルリン五輪の金メダリストの名前が刻まれており、水泳の200m平泳ぎで金メダルを取った水泳日本代表の故・前畑秀子の名もある。

 ドイツ国内の全座席指定のスタジアムとしては最多の74,475席という収容人数を誇るオリンピアシュタディオン。さらにビッグゲームが行なわれる際は、マラソン・アーチの上に移動式グランドスタンドを追加することで、収容人数を一時的に拡大することもできる。

 サッカーのW杯以外にも、オリンピアシュタディオンは2009年には世界陸上選手権、2011年には女子サッカーW杯開幕戦、そして2015年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝など、ドイツのサッカー、そしてスポーツシーンにとって重要なスタジアムとして歴史を刻み続けてきた。そしてユーロ2024でも、決勝を含む6試合が行なわれた。

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