世界のサッカーを変える新しいアイデアは南米から始まった「ロスタイム表示」と「マルチボールシステム」 (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【1978年、南米で初めてマルチボールシステムを見た】

 とにかく、ボールがラインを割ると、戻ってくるまで時間がかかったのだ。

 僕は「すぐに予備ボールを使えいいのに」とずっと思っていた。

 1978年。アルゼンチンW杯を観戦するために、僕はロサンゼルス経由でペルーに降り立って、その後、ボリビアの事実上の首都ラパスに移動。地元の人気チーム、ザ・ストロンゲストとアルゼンチンのボカ・ジュニアーズの親善試合を見に行った。

 W杯直前でアルゼンチンの国内リーグが中断していたので、ボカが遠征してきたのだ。

 試合中、ボールがラインを割る。すると、ボールボーイが新しいボールを投げ入れて試合がすぐに再開された。

 そう、僕が初めて「マルチボールシステム」を目撃した瞬間だ。「ああ、これなんだよ、これ」と思った。

 その後、しばらくしてFIFAも「マルチボール」の採用を検討。1995年の女子W杯とU-17世界選手権(現、U-17W杯)でテストが行なわれ、正式に採用されることになった。Jリーグでも、1996年から「マルチボール」が導入されている。

 サッカーは伝統を重んずる競技であり、他の多くの競技に比べるとルール改正には慎重だ。ルールがコロコロと変わるのがいいとは思わないが、よいアイデアがあったら、どんどんテストを行なってもらいたいものだ。

 サッカーの伝統が長いヨーロッパではなく、南米大陸から新しいアイデアが生まれているあたりも興味深い。

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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