ベッケンバウアーが語っていた「真剣勝負」の重み ドイツW杯開催の組織委員長として語っていた「負の遺産」をも見せるコンセプト
1974年、W杯で優勝した当時の西ドイツ主将フランツ・ベッケンバウアー photo by AP/AFLOこの記事に関連する写真を見る フランツ・ベッケンバウアーが亡くなった。享年78歳はあまりにも早すぎる。個人的には2002年にインタビューしている。日韓共催W杯を数カ月後に控えた時である。
欧州では当時、チャンピオンズリーグ(CL)のイベントとしての価値が急上昇していて、サッカーのレベルそのものではW杯を上回るのではないかと囁かれ始めていた。ベッケンバウアーがかつて所属したバイエルンも、2000-01シーズンに欧州チャンピオンに輝いたばかりだった。
W杯とCLの関係について尋ねてみると、ベッケンバウアーはこう答えた。
「W杯は真剣勝負。まさに戦いだ。CLはお祭り。エンターテインメントだ」
そうW杯の重要性を強調したものである。ドイツが次回2006年のW杯開催国で、ベッケンバウアーが大会の組織委員長に就任していたことも、その理由かもしれない。
直接聞いたわけではないが、ベッケンバウアーは大会の組織委員長の立場でこうも話していたという。
「ドイツ人は第2次世界大戦の影響で、特に欧州の人々からあまり好かれていない。2006年W杯をそうしたドイツのイメージを払拭する舞台にしたい」
簡単に言える台詞ではないと感銘を受けた記憶がある。
ドイツW杯の開幕戦をアリアンツ・アリーナ(ミュンヘン)で、決勝戦をオリンピック・スタジアム(ベルリン)で行なう理由について語った言葉も印象深い。
「最新式のアリアンツ・アレーナで開幕戦をする理由は、生まれ変わったドイツの現在の姿を世界の人々に見てもらうためだ。ベルリンで決勝を行なう理由は反対に、ドイツが過去に犯した負の遺産を示すことにある」
1936年に開催されたベルリン五輪は、ドイツがナチスの支配下にあった時代である。巨大な石で覆われた、荘厳なスタジアムのファサードに、軍国主義に染まる当時の面影を偲ぶことができた。
ドイツは2006年のためにこの五輪スタジアムを新たに建て替えることをしなかった。改修に留め、軍国主義に染まる当時の面影をあえて残し、W杯決勝戦の舞台とした。そうした背景に潜むコンセプトに、ベッケンバウアーがインタビューで主張したW杯の重さを見た気がした。
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著者プロフィール
杉山茂樹 (すぎやましげき)
スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2022年カタール大会で11回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。