伊東純也がどんどんうまくなっている要因を風間八宏が分析「必ず仕事をする」「珍しい例」 (3ページ目)

  • 中山 淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【見えるものが増えた影響】

 では、なぜ伊東はこれほど短期間でこのような変化を見せることができたのか。

「おそらくそれは、見えるものが増えたからだと思います。選手は見えるものが増えると、発想も増えてくる。そうすると、その発想を実現するための技術を見つけようとする欲求も高まるので、自ずと技術も上がり、プレーの種類も増えてくる。

 技術が上がってプレーの種類が増えると、また見えるものも増える。その繰り返しによって、選手は変化することができるわけです。そうやって選手として変化できるのも、才能だと思いますね。

 実際、現在の伊東は所属チームでも代表でも、必ず仕事をする選手になりました。何をすれば相手が嫌がるのか、どうしたら相手をやっつけられるのか、それが見えるようになったのでしょう。

 たとえば、戻るべき時には自分のポジションに戻りますが、自由に動いて相手を崩すためのポジションを取ることもできる。しかもそれが自然にできる。だからチャンスをつくる選手から、試合を動かし、決める選手になったのだと思います」

 伊東は現在30歳。決して若くはないが、この年齢でも選手として進化できることを証明したと言っていい。しかもまだその進化は止まらず、伸びしろさえ感じさせる。

「以前の日本だと、速さや身体能力を武器にする選手は変化しないのが一般的でした。それを考えると、伊東のようにスピードと身体能力が高い日本人選手が変化したことは、あらためて珍しい例だと感じます。

 そういう意味では、まだ今後も変化を見せてくれそうですし、もっと上のクラブに移籍しても不思議ではありませんね。スタメンでも活躍できて、しかも途中出場で試合の流れを変えることもできる。監督にとってこれほど使いやすい選手はいませんから」

 現在フランスで伊東の名前を知らないサッカー関係者はいない。それほど傑出した活躍を見せる選手だけに、フランス以外も含め、まだステップアップ移籍を果たす可能性は十分にありそうだ。

風間八宏 
かざま・やひろ/1961年10月16日生まれ。静岡県出身。清水市立商業(当時)、筑波大学と進み、ドイツで5シーズンプレーしたのち、帰国後はマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)に入り、Jリーグでは1994年サントリーシリーズの優勝に中心選手として貢献した。引退後は桐蔭横浜大学、筑波大学、川崎フロンターレ、名古屋グランパスの監督を歴任。各チームで技術力にあふれたサッカーを展開する。現在はセレッソ大阪アカデミーの技術委員長を務めつつ、全国でサッカー選手、サッカーコーチを指導。来季は関東1部の南葛SCの監督兼テクニカルディレクターに就任する。

プロフィール

  • 中山 淳

    中山 淳 (なかやま・あつし)

    1970年生まれ、山梨県出身。月刊「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部勤務、同誌編集長を経て独立。スポーツ関連の出版物やデジタルコンテンツの企画制作を行なうほか、サッカーおよびスポーツメディアに執筆。サッカー中継の解説、サッカー関連番組にも出演する。近著『Jリーグを使ってみませんか? 地域に笑顔を増やす驚きの活動例』(ベースボール・マガジン社)

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