堂安律の代表落選は計画的 W杯予選やアジア杯を見据え「背番号10」を取り戻す
新生・森保ジャパンで「背番号10」をつけてきた堂安律(フライブルク)が10月ラウンドの日本代表メンバーから"落選"した──。
森保一監督は、鎌田大地(ラツィオ)と堂安のふたりの落選について「コンディション不良」と説明している。ということは、コンディションさえよければ普通に選出されていたということだ。仮に発表まで常連であったとしても、当落線上の選手であればコンディション不良などという説明はしないからだ。
この記事に関連する写真を見る 実際に、今回の"落選"は堂安にとっても計画的だったようで、この夏から苦しめられている「親知らず」の歯を治療する時間に充てるという。11月以降はワールドカップ予選、アジアカップと公式戦が始まってしまうので、その前に......ということだろう。
今季の堂安はフル出場こそないが、公式戦全試合に出場している。最長出場は9月21日のヨーロッパリーグ(EL)オリンピアコス戦で90分までプレーしたもので、この時は1アシストを記録している。
一方、最短出場はブンデスリーガ開幕戦。8月19日のホッフェンハイム戦で84分からの出場だった。この時すでにクリスティアン・シュトライヒ監督も親知らずの問題に触れており、短く見積もっても2カ月以上はそれに苦しめられていることになる。
8月5日のEL第2節のウェストハム戦、堂安は後半開始から登場。ゲームチェンジャーとでも言おうか、堂安は攻撃の推進力をチームにもたらし、ホームの観客を沸かせてその役割を十分に果たした。
定位置の右ウィングでピッチに立つと、堂安はさっそく仕事をした。49分、右サイドでパスを受けて中にカットインし、相手DFラインの動きを見極めて鋭い縦パスを通すと、抜け出したロランド・シャライがシュート。これは相手GKウカシュ・ファビアンスキの好セーブに弾かれてしまうが、反応したルーカス・キュブラのシュートもまたファビアンスキに阻まれ、最後はシャライがそのこぼれ球を拾いネットを揺らした。
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。