パリ五輪世代の秘密兵器 FW二田理央がオーストリアで飛躍「得点王になりたい」

  • 浅田真樹●取材・文 text&photo by Asada Masaki

 若い選手を中心に一段と海外移籍の増加が進む今夏、サガン鳥栖から20歳のストライカーがオーストリアのクラブへ完全移籍することが発表された。オーストリア2部のザンクト・ペルテンと新たな契約を結んだのは、二田理央である。

 とはいえ、二田がオーストリアでプレーするのは、来る新シーズンで3年目。すでに昨季から期限付き移籍でザンクト・ペルテンに所属していた彼は、一昨季にも同じく鳥栖からの期限付き移籍で、オーストリア2部(当時)のヴァッカー・インスブルックに所属し、主にセカンドチーム(U-23)でプレーしていたからだ。

 一時は首位に立つなど、1部昇格争いを繰り広げたザンクト・ペルテンにあって、左肩脱臼による長期離脱を余儀なくされた日本人FWは昨季、14試合出場2ゴールという、数字的には物足りない記録を残したに過ぎない。

 しかし、戦列復帰したシーズン終盤には、主にスーパーサブとして貴重な働きを見せるや、その活躍がクラブからの高い評価を受け、期限付き移籍に付帯する買取オプションを行使されるに至った。

 思うに任せない日々を送ることもあった昨季を経て、晴れて完全移籍を勝ち取った二田は、どんな思いで新たなシーズンを迎えようとしているのか。成長を続ける"パリ世代"のストライカーに話を聞いた――。

今夏、オーストリア2部のザンクト・ペルテンへ完全移籍した二田理央。photo by AFLO今夏、オーストリア2部のザンクト・ペルテンへ完全移籍した二田理央。photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る――まずはオーストリアでの1年目となった一昨季を振り返ってください。ヴァッカー・インスブルックのセカンドチームでは、3部リーグだったとはいえ、リーグ戦19試合出場で21ゴールを量産。得点王になりました。

「最初の頃は、たとえば(2トップの)もうひとりのFWと自分がフィフティフィフティの状況だった場合、自分には(パスを)出してもらえなかった。当時は、まだ信用してもらえていなかったんですかね?(苦笑)

 でも、試合に出るにつれてパスが出てくる感じはあったし、ボランチの選手はいつも自分を見てくれるようになったんで、自分がアクションすれば簡単に蹴ってくれて、簡単に得点できた。チームからの信頼を得られたっていうか、信じて自分を使ってくれているという感じはありました」

――シーズン後半には、ヴァッカー・インスブルックのトップチームに昇格。2部リーグでも5試合に出場し、1ゴールを記録しています。

「1部と2部はオーストリア全体の全国リーグですけど、3部は州ごとのリーグ。2部でプレーしてみて、3部とはレベルがだいぶ違うと感じました。最初はスピード感とかの違いに全然慣れていなくて、悩んだりもしましたけど、出場を重ねていくにつれ、自分のよさを出せるようになりました」

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