心を開いたメッシと真剣に成功したい若い世代の結束。アルゼンチン人記者が明かすW杯優勝秘話 (2ページ目)

  • セルヒオ・レビンスキー●文 text by Sergio Levinsky
  • 井川洋一●翻訳 translation by Igawa Yoichi

【二度のコパ・アメリカで見られたメッシの変化】

 前回のロシアW杯後にアシスタントコーチから昇格したスカローニ監督も、この4年間でメンバーを大きく変え、メッシと彼のために走れる選手でチームを編成していった。

 実は当初、スカローニ監督がいつまでその職に就いていられるかは不透明だった。前回大会終了時にホルヘ・サンパオリ監督が辞任すると、多くのアシスタントもそれに続いたが、スカローニは残った。そしてマウリシオ・ポチェッティーノやマルセロ・ビエルサ、ディエゴ・シメオネ、マルセロ・ガジャルドといった同胞の名将たちが代表監督になりたがらなかったことと、アシスタント時代にメッシと親しくなったことから、スカローニに白羽の矢が立ったのだ。

 そして翌2019年のコパ・アメリカで3位に入ると、チームは自信を深めていった。ブラジルとの準決勝では、PKでもおかしくない場面が2度あったにもかかわらず、主審はVARで確認することさえせず、最終スコアは0-2に。メッシはその後、「南米サッカー連盟はマフィアだ」と糾弾し、彼らしからぬ激しい感情を露わにした──まるでディエゴ・マラドーナのように。

 おそらくスカローニ監督ら首脳陣は、このメッシの変貌を喜んでいたはずだ。彼の怒りは、アルゼンチン代表で成功したいと強く願う欲望の表れだと受け止めて。さらにチリとの3位決定戦で、メッシは苛立ちを募らせて代表の公式戦では唯一のレッドカードを受けたものの、チームは2-1で勝利──ここから破竹の無敗記録が始まっていくのだ。

 2年後のコパ・アメリカは当初、アルゼンチンで開催される予定だったが、コロナの影響があり、宿敵ブラジルで行なわれることになった。しかしメッシとスカローニ監督の下で団結したチームは手堅く勝ち上がり、聖地マラカナンでの決勝でブラジルを1-0で下し、1993年以来のメジャートロフィーを手にした。アルゼンチン代表にとって、これがターニングポイントとなった。

「ブラジルに勝った決勝で仲間たちが去ったあと、私はレオとふたりで話をした」とスカローニ監督は明かした。

「『このタイトルにより、君を筆頭に、我々にのしかかる重圧や人々の要求はさらに大きくなる』と彼に言うと、メッシはこう言った。『問題ないよ。このやり方を続けていこう。きっとうまく行くはずさ』と。監督である私は、この言葉に大いに勇気づけられ、彼を信じることにした」

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