カタールW杯の優勝候補が恐れる「ジャアント・キラー」デンマーク代表。世界の舞台で番狂わせを起こし続けた歴史とその理由
注目チーム紹介/ナショナルチームの伝統と革新
第7回:デンマーク
ジャイアント・キラーの歴史
初タイトルは1992年の欧州選手権(ユーロ)。この時のデンマークは代替出場だった。ユーゴスラビアが開催地スウェーデンに到着後に国連決議を受けて出場停止(内戦のため)となり、予選で2位だったデンマークが繰り上げで出場となったのだ。
カタールW杯に臨むデンマーク代表この記事に関連する写真を見る 急に出場が決まったため、代表選手たちはバカンスを切り上げての参加となり、ろくに準備もしないまま大会を迎えている。
まさか優勝するとは当の選手たちも思っていなかった。応援に駆けつけたサポーターも穏やか。当時社会問題化していたフーリガンとは真逆の穏やかなサポーターは、「ローリガン」と呼ばれ称賛された。温和なファンの応援を受けたデンマークは、準決勝でオランダ、決勝でドイツと優勝候補を連破した。
予選でキャプテンだったミカエル・ラウドルップはリチャード・メラー・ニールセン監督と折り合いが悪く不参加だったが、弟のブライアン・ラウドルップとフレミング・ポウルセンの2トップがカウンターアタックの切り札となり、GKピーター・シュマイケルの大活躍もあって、下馬評を覆すまさかの優勝を成し遂げた。
1995年のキング・ファハド・カップ(コンフェデレーションズカップの前身)では、コパ・アメリカ王者のアルゼンチンを破って優勝している。デンマークがふたつのトロフィーを獲得したこの時期は、戦績のうえでは黄金時代なのかもしれない。だが、デンマークと言えば1984年の欧州選手権で注目を集めた「ダニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれたチームだろう。
ドイツ人のゼップ・ピオンテク監督に率いられたチームには、若きミカエル・ラウドルップとプレベン・エルケーア・ラルセンの強力2トップ、世界最高のリベロと言われたモアテン・オルセンのほか、セーレン・レアビー、イェスパー・オルセン、そしてデンマーク唯一のバロンドール受賞者であるアラン・シモンセンといった名手を擁していた。
3-5-2システムを世界に広めたチームでもあった。ピオンテク監督は4-4-2を基調としながらも相手の2トップに対処するために3バックも採用していた。後に5バック化する守備的なシステムではなく、両翼に攻撃的な選手を配した攻撃型である。初戦は開催国フランスに0-1で破れたが、ユーゴスラビアに5-0、ベルギーに3-2という爆発力を見せて、ベスト4進出を果たした。
1986年メキシコW杯では、グループリーグ3戦全勝。この時もウルグアイを6-1で粉砕する攻撃力を示した。スコットランド、西ドイツも下している。
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