カタールW杯でも優勝候補の前回王者フランス。エムバペ、ベンゼマ、グリーズマンら多様な選手を共存させる「スタイルのない」チーム

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

激闘来たる! カタールW杯特集

注目チーム紹介/ナショナルチームの伝統と革新 
第1回:フランス

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「スタイルがない」スタイル

 サッカーのナショナルチームには国民性が表れるとよく言われる。確かにそうだと思うところはあるが、そうでもないとも思う。プレースタイルは継続されているようで、ときどき変わったりもするからだ。

 最近の例では、イタリア代表が大きく様変わりした。伝統の堅守速攻からスペイン風の攻撃型に変化している。ただ、それでも根底には従来のイタリアらしさが残っていたりするのでややこしいのだが、ともあれ代表チームは一定しているようで実はそうでもないのだ。

 それでも確固としたプレースタイルがあって、それが何かの事情で変化したならまだわかりやすい。2018年ロシアW杯の優勝国フランスは、そもそもどんなプレースタイルで伝統があるのか、かなりわかりにくい代表チームである。

多様なルーツを持つ人々の集まりであるフランス代表多様なルーツを持つ人々の集まりであるフランス代表この記事に関連する写真を見る フランスには多様なルーツを持つ人々が暮らしている。東欧から来た人、アフリカからの移民、ドイツやスペインなど周辺国の流れを汲む人......そのすべてがフランス人だ。純粋なフランス人というカテゴリーはおそらく存在していない。三代遡れば外国人といったケースが多く、純粋なフランス人を探すならガリア人の末裔を探すことになるだろうか。

 国民性が代表チームのプレースタイルに投影されるのだとしたら、フランス代表はまさにそうなのだろう。つまり、スタイルがないというスタイルである。

 かつてレ・ブルー(フランス代表の愛称)には3つの波が起きた。

 第一波は3位になった1958年スウェーデンW杯。中心選手のレイモン・コパはポーランドにルーツを持ち(本名はコパゼフスキ)、エースストライカーのジュスト・フォンテーヌはモロッコの出身だった。ただ、この時のチームはスタッド・ランスを中心に編成されていて、両方を率いた名将アルベール・バトー監督のスタイルというわかりやすさはあった。

 第二波は1980年代、周辺諸国と海外県にルーツを持つ選手たちで構成されたチームだ。イタリア系のミッシェル・プラティニ、スペイン系のマヌエル・アモロス、ルイス・フェルナンデス、グアドループ出身のマリウス・トレゾールなどがいた。テクニカルでカラフルな攻撃型のプレーを披露した魅力的なチームだった。

 第三波の中心はアフリカ移民。アルジェリア移民の子であるジネディーヌ・ジダン、ガーナ出身のマルセル・デサイーが攻守の中心。それにグアドループのリリアン・テュラム、バスクのディディエ・デシャンなど移民系の選抜チームという様相。黒人選手も一気に増加した。W杯で初優勝(フランス大会)した1998年のこのチームは、それ以前とは異なっていて、パワーを前面に押し出した強固な守備がベースになっていた。

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