「チャンピオンズリーグに出場するような選手になってほしい」。セルティックの旗手怜央が目標の舞台を前に思い出す恩師のひと言

  • text by Harada Daisuke
  • photo by AFLO

自分の土台を築いた静岡学園時代

 今日まで自分に関わってくれたすべての指導者が、自分が成長していくうえで欠かせない人たちだったと感謝している。そのなかでも静岡学園高校で過ごした3年間は、自分の土台を築くうえでは本当に重要な時期だった。

 とくにセルティックでプレーする今も、自分の武器になっている繊細なボールタッチの技術を教えてくれたのが川口監督だった。そうしたプレーはもちろんのこと、人としても大きく成長させてくれた恩師。プロになったあとも、自分の人生を大きく導く"ひと言"を与えてくれていたくらいに......。

 少しだけ昔話をすれば、三重県鈴鹿市で生まれた僕にとって、名門と言えば"四中工"と呼ばれる四日市中央工業高校だった。だから自分も周りの同級生たちと同じように、自然と進路のひとつとして四中工への進学を思い描いていた。

 ところが、だった。幼い時の記憶だから朧気なところもあるけれど......ある時、ふっと「プロになるためには"静学"に進学したほうがいいのではないか」と思った。

 だから、今さらながら打ち明けると、中学受験で静岡学園を受けたことがある。ちなみに、サッカーしかしていなかった当時の自分は、学力が足りず、受験に失敗するという苦い経験をしていたりもする。

 中学生になってからも"静学"に進学したいという思いは変わらなかった。中学受験を許してくれた両親は反対することなく、自分の選択を応援してくれていたように思う。

 その意志を強く確認してくれたのは、中学時代にプレーしていたFC四日市の監督だった。わざわざ家の近所まで出向いてくれると、「本当に静学に行きたいのか?」と確認されたのを覚えている。そこで僕が「行きたいです」と答えると、静学への練習参加を打診してくれ、扉を切り開いてくれた。

 川崎フロンターレの練習に初めて参加した時、レベルの高さに驚いたが、「このなかでやれるようにならなければいけない」と、すぐに前向きになれたのは、静岡学園に入学した時の衝撃が強く、免疫があったからかもしれない(苦笑)。

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