チャンピオンズリーグの大舞台にも「謙虚な姿勢で」。セルティック旗手怜央の自らの指針を決めた、静岡学園時代の出来事

  • text by Harada Daisuke
  • photo by AFLO

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CLを前に思い出す高校時代/後編

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スコットランドのセルティックでプレーする旗手怜央。初めての欧州サッカー、欧州生活で感じた、発見、刺激、体験を綴っていく。CLの戦いを前に、高校の恩師のひと言を思い出した旗手。そして、自分が今も謙虚な姿勢を忘れないようにするきっかけとなった、静岡学園高校時代のある出来事を明かした。

◆ ◆ ◆

うれしかった背番号10

 伸びかかっていた鼻を思いきりへし折られたのが、静岡学園高校で3年生になって間もない頃だった。

 それは自分でしっかりと物事を考え、常に謙虚な姿勢を持ち続ける契機になった。

 僕は高校3年生になると、サッカー部のエースナンバーでもある"背番号10"を受け継いだ。

 2年生の時に出場した全国高校サッカー選手権で先発に名を連ね、大会で2得点という結果を残せたことで、最上級生になった時には「自分が背番号10をつけたい」と思えるようになっていた。

静岡学園高2年時に高校サッカー選手権に出場した旗手怜央(後列左から3番目)静岡学園高2年時に高校サッカー選手権に出場した旗手怜央(後列左から3番目)この記事に関連する写真を見る 僕が1年生の時にエースナンバーを背負っていたのは米田隼也さん(現・V・ファーレン長崎)、2年生の時は名古新太郎さん(現・鹿島アントラーズ)だった。その後、自分も同じ道を辿ることになるのだが、ふたりは順天堂大学に進学した選手だった。

 先輩たちは誰もがうまかったが、とくに背番号10をつけていた米田さんと名古さんは別格だった。チーム全体を引っ張っていく姿勢もさることながら、ボールを預ければ何とかしてくれる頼もしさがあった。ふたりのプレーを身近で見て、またはともにプレーしていくなかで、自然と彼らが背負っていた番号を自分もつけたいと思うようになっていった。

 だから、3年生になり背番号10を渡された時には、心の底からうれしかった。

 だが、選手権での活躍もあり、高校選抜に選ばれた自分は、いわゆる天狗になっていたのだろう。

 インターハイ予選を目前に控えていた紅白戦で、相手選手からのタックルを受けると、川口修監督から投げかけられた「大丈夫か?」という言葉を無視してしまったのである。詳細は覚えていないが、タックルを受けたことにカッとなり、全く周りが見えなくなっていたのだろう。

 振り返ってみると、きっと問題はそれだけではなかったはずだ。おそらく日々の態度も悪かったのだと思う。川口監督には、そうしたひとつひとつの行動や態度が目に余っていたのだろう。

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