ロナウドが準決勝前に髪型を変えた本当の理由とは? 今、明かされる2002年W杯優勝、ブラジル代表秘話 (4ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 2002年6月30日、横浜。決勝戦のタイムアップの笛が鳴った時、キャプテンのカフーは泣いていた。それから彼は、私からマジックペンを奪うと、ユニホームに何かを書きだした。そこには「100%ジャルディーニ・イレーネ」と書いてあった。ジャルディーニ・イレーネはサンパウロにあるファベイラ(スラム)の名前であり、カフーの生まれ育った場所だった。

 彼は世界を制した瞬間も、自分の出自のことを忘れなかった。それを見たデニウソンもユニホームに「100%ディアデマ」と書き、ジュニオールも「100%サンアントニオ」と書いた。いずれも貧しい地区である。自分のルーツを忘れない。これもスコラーリの教えだった。

 カフーに聞くと、彼は今でもそのユニホームは大事に家にとってあるという。

「サッカーは足でプレーするものだが、心がなくては勝てない」

 かつてのブラジル代表のキャプテン、ソクラテスはそう言った。2002年のセレソンを見て、私はまさにそのとおりだと実感した。

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