英雄シェフチェンコが世界へメッセージ。「ウクライナ人であることを誇りに思う」 (3ページ目)
かつては政治の道を目指した
スタジアムのそこかしこでは、観客がおのおの用意した水色と黄色のウクライナ国旗が振られ、また中継されたセリエAの試合の画面にはスコアの下に常に「NO WAR」の文字が出されていた。
サッカー界でもロシアに対する強い処分が下されている。FIFAはロシアをカタールW杯から締め出し、UEFAはロシアのクラブチームすべてを国際大会出場停止とした。また、ロシアのガスプロムはチャンピオンズリーグのスポンサーから排除された。それについてシェフチェンコはイタリアの全国紙「レパブリカ」において当然の処置であると語る。
「平和な国に突然攻め入った国を代表する企業とは、協力することはできない」
ロシアの人々に何を言いたいかを聞かれると彼はこう答えた。
「戦争反対のメッセージはすべてのロシア人に届けなければならない。かの国が民主的でないことはよくわかっている。反対の声を上げれば逮捕される。しかし彼らが声を上げてくれることがこの戦いを止めるために一番重要なことだと思っている」
選手を引退した後、シェフチェンコは一時期、政治家を目指したことがあった。古巣のディナモ・キエフで引退したのち、旧ウクライナ社会民主党「ウクライナよ、前へ!」へ入党。2012年に選挙に出たが、当選することはできなかった。そこで彼は政治の道はあきらめ、社会貢献は別な形で行なうことにした。たとえばそのひとつが、親のいない子供たちを支援するSOSヴィレッジだ。
「政治は私の道ではなかった。私はすぐにそのことに気がつき、監督をすることにした。やはり私の居場所はサッカーだからと思ったからだ」
シェフチェンコは2016年からウクライナ代表監督を務め、昨年のヨーロッパ選手権ではチームをベスト8に導いている。
「レパブリカ」紙のインタビューを彼はこう結んでいた。
「この悲惨な状況下で、私の心を温めてくれるのはかつてのチームメイトや友人、教え子たち、サポーターの皆が私を応援してくれることだ。私がドアを叩けばすべて開かれ、迎え入れてくる。私の苦悶は、私を愛してくれる人々の苦悶でもあることを知った。
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