本田圭佑、イタリアでの激動の日々。ミランが伝えたのは、サッカーへの真摯な姿勢 (3ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by AFLO

【ミランを震撼させた爆弾発言】

 アッレグリ解任を皮切りに、結局、本田はミランで7人の監督のもとでプレーする。アッレグリ、タソッティ、セードルフ、フィリッポ・インザーギ、シニシャ・ミハイロビッチ、クリスティアン・ブロッキ、ビンチェンツォ・モンテッラ。ちなみにうち3人はトップチームを率いるのが初めての監督だった。それだけでもチームの混乱ぶりがうかがえるだろう。

 本田は2014-15シーズン開幕直後、7試合で6ゴール決め、ミラニスタに夢を与え、チームになくてはならない存在と言われた。サッカーに対しては非常にストイックなインザーギ新監督ともウマが合った。

「私は本田のことを過小評価していた。しかし彼の練習態度を見て、本田がすばらしいプロであることを知った」

 ポッドキャストはインザーギの言葉を紹介する。しかし、シーズン後半になるとチームの不調とともに本田の調子も落ちていき、ミランは10位という近年まれに見るひどい成績で終わってしまった。

 翌シーズンのミハイロビッチ指揮下では、それまでの右サイドではなく、本来のトップ下のポジションが回ってきたが、ここぞというところで力を見せることができない。ベンチに座ることも増えてきた。

 そんななか、チームがナポリに大敗した最悪のタイミングで、本田は突如チームの経営や監督の采配、サポーターやメディアの態度までに物申すような爆弾発言をする。これで彼は多くの敵を作ってしまった。ピッチに出ればブーイングを浴びる。シーズン後半になってやっと調子を上げ、連続してプレーできるようになったが。本田はこのシーズン、リーグで決めたのは1ゴールのみだった。

 翌年、モンテッラがベンチに座ると本田は完全に控えの選手になってしまった。モンテッラはほかの選手を重用し、8試合で221分というのが最後の年の出場時間だった。

 本田への風当たりは確かにきつかった。他の選手だったならばここまで叩かれなかったかもしれないが、そうはいかなかった。なぜなら彼は背番号10を背負っていたからだ。彼がチームの真のリーダーだったこともなかった。

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