ドリブル突破以上の価値。相手ボールを奪う役割「ボールウィナー」活躍の歴史

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

サッカー新ポジション論
第11回(最終回):ボールウィナー

サッカーのポジションや役割は、時代ともに多様化し、変化し、ときに昔のスタイルに戻ったりもする。現代サッカーの各ポジションのプレースタイルや役割を再確認していく連載。最終回は、チームに1人いてほしい中盤で相手ボールを奪う役割、「ボールウィナー」を紹介する。

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現在のボールウィナーの代表格であるカゼミーロ現在のボールウィナーの代表格であるカゼミーロこの記事に関連する写真を見る<ボールウィナーの系譜>

 ボールを奪う能力は、ドリブルで相手を抜く能力以上の価値がある。

 相手からボールを奪って置き去りにすればドリブルで1人抜くのと同じであり、攻守が入れ替わったことでより効果的な攻撃になる可能性がある。ヨーロッパでは「ボールウィナー」という用語もあり、ボールを奪う能力は高く評価される。

 かつては専業のボールウィナーがいた。そのルーツを辿ると、1930年の第1回ウルグアイW杯で準優勝したアルゼンチンの中心選手だったルイス・モンティが挙げられる。4年後にはイタリア代表として優勝。異なるナショナルチームで二度の決勝を戦った、唯一の選手だ。

 モンティのポジションは2-3-5システムのセンターハーフだった。イタリアで「メトード」と呼ばれた2バックシステムで、モンティは2バックの前に位置して相手のエースをマークする役割を果たしていたようだ。1934年イタリアW杯準決勝では、オーストリアのFWマティアス・シンデラーを徹底マークしている。

 ボカ・ジュニアーズの名手とした鳴らしたアルゼンチンのアントニオ・ラティンは、同時代のスーパースター、ペレのマーク役としても有名だった。ゲームメークの能力も高く、1950~60年代を代表するMFである。

 ただ、ラティンを有名にしたのは1966年イングランドW杯の退場劇だろう。準々決勝のイングランド戦で判定に異議を唱えて退場になったのだが、ルドルフ・クライトライン主審とは言語の違いから意思の疎通ができず、抗議はベンチも含めて10分間にも及んだために極めて印象が悪くなってしまった。イエローカード、レッドカードを導入するきっかけとなった出来事と言われている。

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