超人エムバペ。新世代のスーパースターは私生活も超優等生 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 圧巻は、その夏にロシアで行なわれたW杯で4ゴールを記録し、19歳にしてフランス代表の10番を背負って通算2度目の優勝トロフィーを母国に持ち帰ったことだ。10代でW杯決勝の舞台で得点を決めたのは、1958年大会のペレ(ブラジル)以来の偉業である。

 世界チャンピオンとなって自信をつけたエムバペはさらに進化を遂げ、2018−19シーズンには33ゴール7アシストをマークし、リーグ・アン2連覇に貢献したほか、個人としては初のリーグ・アン得点王と年間最優秀選手賞をダブル受賞。3年連続で年間最優秀若手選手賞とベストイレブンも手にしている。ラウンド16でマンチェスター・ユナイテッドに敗れたCLでは、通算4ゴール5アシストを記録した。

 そしてコロナ禍に揺れた2019−20シーズンも18ゴール5アシストの活躍で、リーグ3連覇をはじめ2度目の国内三冠を達成。2年連続で得点王に輝いたほか、CLではクラブ史上初の決勝戦に進出して5ゴール5アシストと、申し分のない結果を残している。

 要するに、プロデビュー2年目の18歳から21歳までの4シーズン、エムバペは国内リーグで負け知らず。スランプらしきものを一度も経験することなく、ほとんどすべての栄光を手にし続けてきた。22歳となった今シーズンもその勢いは増すばかりで、29試合25ゴールでランキング単独トップ(5月2日時点)。その成長ぶりはとどまることを知らない。

 モナコ時代が第1覚醒期とすれば、W杯優勝後の2018−19シーズンが第2覚醒期。そして自身のゴールでバルセロナとバイエルンを撃破した今シーズンは、エムバペの第3覚醒期にあたると見ていい。

 それにしても、なぜエムバペはここまで立ち止まることなく、進化を続けることができたのか。おそらくその答えのヒントは、幼少期から育まれた特有のキャラクターにある。

 フランス代表が初めてW杯を制した1998年、エムバペは決勝の地スタッド・ド・フランスのあるサン=ドニ地区ボンディで生まれた。地元でサッカーコーチを務めるカメルーン人の父親と、アルジェリア人の血を引く元ハンドボール選手だった母親に厳しく育てられ、脇目を振ることなく、ただひたすら大好きなサッカーにすべてを捧げてきた。

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