2021.03.12

マラドーナがまさに典型。ファンタジスタになぜ監督成功例が少ないのか

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Fujita Masato

ファンタジスタ×監督(1)

 ピッチでファンタジーを見せ、ひときわ輝きを放った選手たちがいる。

<ファンタジスタ>

 彼らはそう呼ばれた。天才的なひらめきと技巧によって人が陶酔する瞬間を作り出してしまう。そのスター性は、言葉にならない。

 カルロス・バルデラマ、エンツォ・フランチェスコリ、ポール・ガスコイン、ロベルト・バッジョ、マヌエル・ルイ・コスタ、アルバロ・レコバ、フアン・セバスチャン・ベロン、フランチェスコ・トッティ、アレクサンダー・モストボイ、リバウド、フアン・ロマン・リケルメ、そしてロナウジーニョ......。

 1980年代から2000年代前半にかけ、彼らはファンタジスタとして快刀乱麻の活躍を見せた。そのキックやコントロールは、感性を刺激するものだった。本能的に「美しい」と感じさせた。

 そして共通するのは、彼らが監督の道に入っていない点だ。

 アルゼンチン代表のほかいくつかのクラブを率いたが、成功したとは言えない故ディエゴ・マラドーナ アルゼンチン代表のほかいくつかのクラブを率いたが、成功したとは言えない故ディエゴ・マラドーナ  監督は勝利の効率を無視できない。そのプロセスにおいて、ファンタジーという不確定要素は、しばしば扱いづらいものになる。自由を奪い、創造力を縛らざるを得なくなる。

 その結果、ファンタジスタたちは監督が編み出した戦術志向で持ち味を消され、追いやられていった。彼らは客を沸かせられるし、相手に決定的ダメージを与え、味方を奮い立たせられる。その一方、守備で帰陣しなかったり、プレッシングで穴になったり。集団戦で見た場合、弱点になり得るのだ。

 監督はチームを統率するのが仕事で、それには管理や制限が必要になる。ある種の平等性というのか。美しさよりも‟労働"を要求せざるを得ないのだ。

「サッカーを退屈なものにする監督に興味はないよ」

 ファンタジスタたちは、受けてきた仕打ちのせいか。せめてもの抵抗のように言う。

 実際、選手と監督はまるで別の職業だ。

 その証左として、昨今はジョゼ・モウリーニョ(トッテナム・ホットスパー)をはじめ、論理的思考を極めた「プロ選手経験のない」指揮官が台頭している。トーマス・トゥヘル(チェルシー)、ユリアン・ナーゲルスマン(ライプツィヒ)、ホセ・ボルダラス(ヘタフェ)も現役時代はセミプロレベル。指導者として積み重ねた知識や経験で成功を収めた例だ。