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「ぬりかべ」が襲ってくる。ブラジルサッカー史上最高級ボランチの特殊能力 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

 ブラジル代表のボランチとして近年、名を馳せたカゼミーロ(レアル・マドリード)に近い風貌だが、彼との違いで言えば、反則が決定的に少ないことが挙げられる。荒いプレー、汚いプレーはほぼ皆無。身体の寄せ方が抜群に鮮やかなのだ。

 それだけではない。その広くて四角い背中が、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる「ぬりかべ」のごとく、突如、ボール保持者の相手の目の前にヌッと立ちはだかるという感じで、進路を遮る能力と言うか、立ち位置、ポジション取りがいいのだ。

 ここだという急場に気がつけば現れ、相手の攻撃の芽を摘む。そして身体を寄せながらボール保持者のエネルギーを奪い取る。

 1991年のコパ・アメリカと言えば、この連載の第2回目(「中田英寿の脚を削りベッカムを一発退場に。シメオネのすごすぎる武勇伝」)でも記した通り、決勝リーグで、アルゼンチンがブラジルを3-2で下した試合がある。マウロ・シウバとディエゴ・シメオネは、まさに対峙し合う関係にあった。

 自ずと両守備的MFの違いは鮮明になるのだった。マウロ・シウバの特性は、シメオネの狡猾なプレーと比較することで一目瞭然になった。ルックスはシメオネ以上にいかついが、プレーにはその何倍も品があった。

 1994年アメリカW杯。マウロ・シウバはドゥンガとダブル(ドイス)ボランチを組んでスタメンを飾り、ブラジルの優勝に貢献した。マウロ・シウバが奪ったボールをドゥンガがさばく。ザックリと言えば2人はそんな関係にあった。

 先述のとおり、ドゥンガは翌年、日本に渡り磐田でプレー。日本人の記憶に残る選手になった。他方、マウロ・シウバはその時すでに欧州にいた。1992-93シーズンから、デポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーしていた。

 翌1993-94シーズン、マウロ・シウバが加わったデポルティーボは、スペインリーグで優勝争いを展開。リーグの最終戦でバルセロナに逆転される悲劇を味わったが、マウロ・シウバはその勢いでアメリカW杯に臨んだ。

 それから2005-06シーズンに引退するまで、デポルティーボの名ボランチとしてスペインリーグを席巻。1999-00シーズンには、チームを初めてスペインリーグ王者に導いた。またチャンピオンズリーグ(CL)においても、6シーズンにわたり計39試合に出場している。

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