奥寺康彦が語るドイツでの日本人評価の現状「活躍できると見られていない」 (5ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

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――日本人選手がこれまで活躍できた大きな要因は、どんなところだと思いますか?

「日本人選手の献身性は、他の国の選手とは違うところですよね。監督の指示にちゃんと従うし、そのなかで自分のプレーもする。監督としては計算ができるので重宝されると思います。メンタル面では少し弱いところもあるかもしれないけど、本当に一生懸命プレーして惜しみなくチームに尽くすところが、ブンデスリーガで多くの日本人が活躍できてきた理由だと思います」

――そこはドイツ人のメンタリティに近いところがあるんでしょうか?

「いや。ドイツ人のメンタリティは自分本位。ドイツ人は『俺はすごいんだ』って思って、プレーしている選手が多いんです。日本人はそう思っていても、まずはチームを優先して考えるところがありますよね。ドイツ人もそういうのを持っていないわけではないけど、日本人ほどではない。そこをわかってくれれば、監督は重宝してくれると思いますよ。長谷部誠がいい例ですよね」

――これからの日本人選手に期待するところはありますか?

「もう海外でプレーするのは当たり前の時代なので、チャンスがあればトライしてほしいと思います。ただ、安易には行ってほしくない。今は情報もいっぱいあるし、ある程度の目標をしっかりと持って、チャレンジしてほしいですね。甘い世界ではないし、ヨーロッパには世界中からいろんな選手が集まってくるので、何も知らずに行くと試合に出られないなんてケースはざらにありますよ」

――これからヨーロッパでプレーする日本人はさらに増えていきますよね。

「間違いなく増えますね。今の若い子たちは国内も見ていると思いますけど、やっぱりヨーロッパを見ていて、将来はヨーロッパでプレーすることが頭にあると思います。ただ、Jリーグで活躍できなければ向こうで活躍なんて難しい。だからこそ、まずはJリーグで力を証明して、海外に旅立ってもらいたいですね」
(おわり)

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奥寺康彦
おくでら・やすひこ/1952年3月12日生まれ。秋田県出身。古河電工(現・ジェフユナイテッド千葉)や日本代表でも活躍したのち、77年にドイツ・ブンデスリーガのケルンへ移籍。その後ヘルタ・ベルリン、ブレーメンでもプレーし、9シーズンで通算234試合出場26得点を記録。得点は14年に岡崎慎司に、出場記録は17年に長谷部誠に抜かれるまで、日本人の最多記録だった。古河電工復帰後、88年に引退。その後ジェフユナイテッド市原や横浜FCのGM、監督を務め、現在は横浜FCの会長兼スポーツダイレクターを務める。

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