ベンゲルが振り返る自らのサッカー人生。「他のすべてを犠牲にした」 (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

「あの3週間は、一生懸命にやった」と、ベンゲルは言う。彼の口からそんな言葉を聞くと、その3週間の重みが伝わってくる。

 ベンゲルはコーチの仕事も一生懸命にやった。フランスのASナンシーで監督をしていた時、クリスマスの直前に1試合を行なって負けた。クリスマスイブだけは両親の家に帰って一緒に過ごしたが、それを除けば3週間のリーグ戦中断期間を通じて、ずっと独りで考え続けていた。

 ベンゲルが名を知られるようになったのは、監督としてモナコを7シーズン率いた時だ。彼はある年の元日に、フットボールを見るために滞在していたトルコから、思いつきでロンドンへ飛び、アーセナル対ノリッジの試合を見た。観客席でベンゲルは、たばこの火をある女性から借りた。彼女はアーセナルの副会長デイビッド・デインの夫人と親しかった。

 その夜、ベンゲルはデインの家に招かれる。彼はジェスチャーゲームでシェイクスピアの『真夏の夜の夢』の一場面を身振りだけで演じ、他の人たちを楽しませた。ベンゲルとデインは親しくなり、フットボールの話もするようになった。

 その後、ベンゲルはモナコを離れ、日本の名古屋グランパスを率いた。1996年のある日、アーセナルの関係者が日本へ飛び、監督就任を要請する。イングランドのトップリーグで4人目となる外国人監督の誕生だった。

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