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ジダン頭突き事件の舞台は、
ドイツの「負の遺産」をあえて残している (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

 だが、それ以上にビジュアルショックを受けるのは、ベルリン五輪シュタディオンの正面スタンド右側にそそり立つ入場ゲートだ。高くそびえる2本の支柱から、ワイヤーで宙づりになった五輪のシンボルマークを見上げた瞬間、そのあまりに浮世離れした超然たる光景に圧倒される。

 言わずと知れた1936年ベルリン五輪のメイン会場だ。軍国主義思想に染まるナチスドイツ時代の遺産である。入場ゲートと反対側に位置するゴール裏スタンド付近には、ベルリン五輪の優勝者の名前が刻まれていて、その石碑の中にMAEHATA(前畑秀子さん=女子200m平泳ぎ)の名前を発見することもできる。

 前畑さんが金メダルを獲得した当時のプールは、スタジアムのバックスタンド側にある。スタジアム周辺は様々なスポーツ施設が点在するスポーツコンプレックス風の作りになっているのだ。

 さらに石碑を眺めると、衝撃的な文字が浮かび上がってきた。マラソン優勝者として刻まれるSON(孫基禎<そん きてい、ソン・ギジョン>さん※)だ。その3文字の後に付記されるJAPANの文字は、日本人にとってこのスタジアム最大の見どころかもしれない。朝鮮人の孫さんを日本人としてベルリン五輪に出場させた日本の過去を再認識させられる瞬間である。筆者はこの石碑の刻印と、予備知識ゼロの状態で向き合ったので、より心に刺さった記憶がある。

※1910年の日韓併合の後、日本統治時代の朝鮮出身のマラソン選手。1936年のベルリン五輪ではアジア地域出身で初めてマラソンで金メダルを獲得した。第二次世界大戦が終了し、大韓民国建国後は韓国の陸上チームのコーチや陸連会長を務めた。

 ドイツは2006年、W杯を開催した。ベルリン五輪シュタディオンはイタリアとフランスが対戦した決勝戦など、計6試合を行なっている。

 開会式の舞台はミュンヘンのアリアンツ・アレーナだった。こちらがスタジアムを囲むパネルが変色する超今日的な新築スタジアムだったのに対し、ベルリンは改築だ。ナチスドイツ時代の負の遺産をあえて残し、W杯決勝の舞台に充てた。

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