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CL史上これぞ「倍返し」の衝撃2試合。黄金期のミランに起きた悲劇 (2ページ目)

  • 井川洋一●文 text by Igawa Yoichi
  • photo by Getty Images

 1999-2000シーズンのラ・リーガと2001-02シーズンのコパ・デル・レイを制し、CLでは2000-01シーズンから2年連続で8強入り。1シーズンを挟んで三度準々決勝に駒を進め、ミランとの対戦になった。

 とはいえ戦前は、アンドリー・シェフチェンコ(ウクライナ)やカカー(ブラジル)、アンドレア・ピルロ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタ(以上イタリア)ら、攻守に一線級の役者を揃えるミランが有利と見られていた。

 そしてホームのサン・シーロでの第1戦は、その予想どおりにミランが4-1で快勝。ピルロの美しい直接FKが左のトップコーナーに収まって4点目が追加された時は、多くのサポーターが勝ち抜けを確信したはずだ。

 ところが2週間後のリターンマッチは、信じがたい展開になった。

 デポルティーボは、序盤の前半5分に第1戦と同じようにワルテル・パンディアーニ(ウルグアイ)が先制。するとこの日はミランの反抗を許さず、35分フアン・カルロス・バレロン(スペイン)と44分にアルベルト・ルケ(スペイン)が加点し、前半を3-0で終了。ホームのリアソール・スタジアムが熱狂と興奮に包まれた。

 この時点で、すでにアウェーゴール差で勝ち上がれる状況にあったデポルティーボだが、後半には地元出身のフラン(スペイン)が駄目押しの4点目を決めて、大逆転に華を添えた。

 小クラブながらの大躍進で、当時"スーペル・デポル "(スーパー・デポルティーボ)と崇められたデポルティーボの倍返しは、こうして成就したのである。

 手痛い大逆転を食らったミランだが、それでも当時欧州随一の戦力を有していた。翌2004-05シーズンには、2シーズンぶりにCLの決勝に進出する。会場はイスタンブールのアタテュルク・オリンピック・スタジアム(ちなみに同会場は昨季、二度目の決勝を開催する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で開催地がポルトガルに変更されたため、新シーズンの決勝会場にスライド)だった。

 相手はスティーブン・ジェラードやジェイミー・キャラガー(以上イングランド)、シャビ・アロンソ(スペイン)らを擁するリバプールである。

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