歯科医だったコロンビアの名将。
30年前に先進的サッカーができた謎

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

サッカー名将列伝
第3回 フランシスコ・マツラナ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介。第3回はフランシスコ・マツラナを紹介。当時ミランと同じプレッシング戦術を機能させ、技巧派の選手も重用しながら魅力的なコロンビアサッカーを築いた監督だ。

◆ ◆ ◆

<1989年のミラーゲーム>

 新戦法ゾーナル・プレッシング(日本ではゾーンプレスと呼ばれた)の下、1988-89シーズンにヨーロッパ王者となったミラン(イタリア)は、89年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)で、南米王者のアトレティコ・ナシオナル(コロンビア/当時日本では「ナシオナル・メデジン」と呼ばれた)と対戦した。

80年代後半から90年代のコロンビアサッカーをつくり上げたマツラナ監督80年代後半から90年代のコロンビアサッカーをつくり上げたマツラナ監督 延長戦の末、アルベルゴ・エヴァーニのFKからの1点でミランが勝利している。ミランのアリゴ・サッキ監督は試合後、

「ミラーゲームだった」

 と、話していた。両チームのプレースタイルは鏡に映したように似ていたのだ。

 87年の夏にサッキがミランの監督に就任し、最初のシーズンでスクデットを獲り、次のシーズンでチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制した。東京・国立競技場で行なわれた89年12月のトヨタカップは、サッキ監督のミランでの3シーズン目である。

 サッキ自身、最初のシーズンからまったく新しい戦術を機能させているので、コロンビアのチャンピオンがコピーしようと思えば不可能ではなかったかもしれない。しかし、実際にはそうではない。

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