メッシを生んだバルサのルーツ。
「小さな選手に目をかけろ」 (4ページ目)
そしてあまり知られていないことだが、主要ポジションを任されていたのは、筋骨隆々としたバスク人選手だった。GKアンドニ・スビサレータ、MFアンドニ・ゴイコエチェア、ホセ・マリア・バケーロ、チキ・ベギリスタイン、FWフリオ・サリナス。肉体的な利点があるだけでなく、献身的にチームのために尽くすことができた。
先進的なクライフは、このドリームチームをさらにスケールアップさせる野望を持っていた。1994-95シーズンに4位と低迷し、「ひとつのサイクルが終わった」と囁かれた時、クライフはルイス・フィーゴ、ロベルト・プロシネツキ、ゲオルゲ・ハジなど実力のある外国人選手を獲得する一方、ラ・マシアの若手を大量に抜擢した。その中には息子のジョルディ・クライフもいた。
1995-96シーズンは、ドリームチーム2の挑戦だった。
クライフはより効果的にパスをつなげるため、GKにもフィールドプレーヤー同様のボール技術が求めた。そこで下部組織からカルレス・ブスケッツ(セルヒオ・ブスケッツの父)を抜擢。リベロGKの誕生だった。
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