2019.03.13

ストイコビッチの右腕が中国サッカーを警戒。「日本の脅威になる」

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

 世界広しといえど、一国の1部リーグでファーストチームのコーチを務め、さらにそのクラブのアカデミーをも統括する立場にいる人は、この人のほかにいないはずだ。しかも、その育成組織の指導者は14人全員が日本人。そんなアカデミーも、日本以外の1部リーグではここだけだろう。

 喜熨斗勝史(きのし・かつひと)、54歳。中国スーパーリーグ(CSL)の広州富力で、”ピクシー”ことドラガン・ストイコビッチ監督のアシスタントを務め、下部組織のディレクターも兼務する。

2015年シーズン途中から広州富力を率いるストイコビッチ監督 photo by Getty Images 彼にはプロ選手としてのキャリアこそないが、独特な経歴と、そこで得た理論がある。そして溢れ出すエネルギーと人を惹きつける力、豊かな感性を持った人物だ。

「名前からわかるかもしれませんが、歌舞伎役者の家系に生まれました。うちの両親は僕が小さい頃に別れてしまって、自分にとってサッカーは”父親代わり”のようなものでした。社交性、コミュニケーション、頑張ること、悔しいこと、協力すること、そしてサッカー特有の”マリーシア”ではないですけど、人生をうまくやっていくこと。それらすべてを、僕はサッカーから教わったんです」

 そんなサッカーを一生続けていきたいと考えた喜熨斗は、「当時は(日本に)プロリーグがなかったため」教員になり、社会人リーグでプレーした。ところが、彼が29歳のときにJリーグが発足する。

「(Jリーグができると)知ったときはものすごくショックでした。すでに20代後半でしたから、『選手としてリーグに関わるのは無理だろうな』と。だったらコーチしかない。ただし、自分にはプロ歴もないし代表歴もない。トップレベルの指導者を目指すなら勉強するしかないと思い、東京大学の大学院を目指したんです」

 我が国の最高学府の大学院は当然、狭き門だ。喜熨斗は「人生で初めての猛勉強をして、2度目に受かって」サッカーの研究をした。「東大でそんなことをしているのは僕だけでしたけど」と笑う彼は、そこで今の仕事のカギとなる英語も覚え、その後、縁があってベルマーレ平塚(当時)のユースを手伝うようになった。