柴崎のヘタフェ。そのユースでレギュラーを張る「謎の日本人」の正体 (3ページ目)

  • 栗田シメイ●文 text by Kurita Simei
  • 写真提供●ヘタフェCF

 遠回りに思えるこの過程が、海外で生き抜くための思考力を身につける契機となった。本気で(トル)自身の人生と向き合い、出した結論は"日本からの脱出"だった。

「いろんな人から、『海外と日本ではサッカー感や常識がまったく違う』と口を酸っぱくして言われました。18歳にならないとスペインで契約はできない。そこで薦められたのが、スペイン語圏のアルゼンチンだったんです」

 その提案を受けて「球際の強さ、サッカーの厳しさを知るのに最適な国だ」と感じた柿沼は、2年時の春に第一学院高等学校を退学し、単身、アルゼンチンへと渡った。選手枠が既に埋まっていたという時期的な問題もあり、プロのユースチームへの入団は叶わなかったが、フリーの選手が集まるチームで淡々と練習をこなしていった。

「アルゼンチンでの経験は本当に今も活きています。フリーの選手が集まるチームなのに、コパ・リベルタドーレス(南米大陸のクラブ王者を決定するカップ戦)に出場した選手、1部のリーグでバリバリ活躍していた選手など、上を目指す選手が集まっていたんです。

 何よりプレーが激しくて、日本では考えられない当たりの強さを体感しました。DFなんて、『岩か』と思うくらいの強さでぶつかってくる。日々の練習でですよ。だからこそ1対1の局面の強さ、ゴールに直結するプレーの出し方など得たものが大きかったんです。アルゼンチンでの経験がなければ、ヘタフェユースへの入団も果たせなかったかもしれません」

 アルゼンチンでの半年間の武者修行を終える頃、柿沼は確かな手応えを感じていた。そして2017年の秋にスペインに渡り、各チームの練習を見学する一環で、ヘタフェの練習場を訪れた。そこで、現在は隣のグラウンドで練習する柴崎岳にサインをねだる場面もあったという。多くの言葉は交わさなかったが、柿沼は柴崎に憧れを抱いた。

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