ミラン公式誌編集長が振り返る。「今も心に残る本田圭佑のあのプレー」 (2ページ目)

  • ステーファノ・メレガリ(『Forza Milan!』編集長)●文 text by Stefano Melegari  利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 しかし、そのための努力を怠ったことは一度としてなかった。僕はいつもすべての試合、すべての練習に全身全霊で打ち込んできた。ミランのサポーターに対しては永遠に感謝の気持ちを持ち続けるだろう」

 これは最終節のカリアリ戦を前にして、本田圭佑が語った言葉だ。

 思えば本田が所属していたこの3年半は、ミランにとっても、尋常ではない日々だった。監督が次々と変わり、チームはまず財政問題で揺れ、その後は先の見えない株式譲渡問題に揺れた。決してプレーするのに適した環境ではなかった。そのことが本田の出来、不出来にも大きく影響を及ぼしたことは確かだ。

 本田自身が常々言ってきたように、まず自分本来のポジションでプレーできることが少なかった。そのため本田は右サイドでアタッカーのように攻めることを、そして同時に同サイドを下がって守備に手を貸すことも覚えなければならなかった。

 またチームは好不調の波が大きく、そのため真面目に練習を続ける本田のよさを最大限に引き出すこともできなかった。特に最後の2シーズンでは、監督に起用されず、ベンチに座ることも多かった。

 ただ監督の采配について、あるいはもしミランが他のシステムでプレーしていたらなどと、今さら愚痴っても仕方ないことだ。いま言えるのは、本田がミラン史上初の日本人選手だったことだ。

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