イブラヒモビッチ、ポグバ、バロテッリ...移籍劇を操る大物代理人の実像 (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ライオラはユース時代にはまずまずの選手だったし、20代になって法学大学院を辞めてからは地元のプロクラブFCハールレム(現在はない)のテクニカルディレクターになった。ライオラはアヤックスからデニス・ベルカンプという10代のすばらしい選手を獲得しようとしたが、FCハールレムの理事たちと衝突して実現しなかった。救いようのないほど頭の固い奴らだと、ライオラは思った。

 1992年、ライオラの会社インテルメッゾは、アヤックスにいたウィンガーのブライアン・ロイがイタリアのフォッジャに移籍するのに手を貸した。ライオラはロイと一緒にフォッジャで7カ月過ごし、彼の家を塗り替えるのも手伝った。フォッジャで彼は、未来の妻と出会った。そして、プロフットボールの独特な世界を知ることにもなった。

 丸くて愛嬌のありそうな風貌を持つアウトサイダーであるライオラは、フットボール界のインサイダーから相手にされないことがあった。ときどき彼は「あんた誰?」と聞かれたものだ。

 しかし、軽蔑心を抱いていたのはお互い様だった。ライオラは「私はまったく感心しなかった」と言う。フットボール界のお偉がたの多くは、社交好きな元選手だというだけで、その立場に選ばれていた。

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