イブラヒモビッチ、ポグバ、バロテッリ...
移籍劇を操る大物代理人の実像 (2ページ目)
仕事をいかに学んだかを解説してくれるために、ライオラは、すべてが始まった場所に僕を連れていく。ハールレムにある美しいグロート市場だ。
ライオラの一家は彼がまだ幼かった1968年に、イタリア南部からハールレムに移り住んだ。このとき何世帯かの親戚が一緒に移住した。ライオラによれば、隣り合う3軒の家に35人ほどが住んでいた。ライオラ家は「ナポリ」というピザ屋をグロート市場に開いた。
僕たちは、その昔「ナポリ」があった場所に入っているイタリア料理店の外のテーブルに座る。店主がサービスのエスプレッソを持ってきてくれ、ライオラは昔の店の周りをしげしげと眺める。通りがかった人がライオラに手を振る。彼は「やあ、元気?」と応じる。そして僕のほうを向いて言う。「誰なのか知らないけど」
ライオラは思い出を語る。「父はここで毎日18時間働いた、ときには20時間も。父は仕事場では、限度を知らなかった。私が11か12のころ、父の仕事を見るために一緒に店に来たことがあった。父はキッチンで働いている。じゃあ、私は何をすればいい? 私は掃除をした。今でも掃除は大好きだ。きれいになって、仕事の結果がすぐ目に見えるから、気持ちが落ち着く」
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