追悼ヨハン・クライフ。彼がいなかったらサッカーは違うものになっていた (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by Getty Images

 リアリティを感じたのは、ワシントン・ディプロマッツの一員として来日し、ヤンマーと対戦した時(1980年)ぐらい。右足のアウトサイドで蹴ったボールが、タッチラインを割りそうになりながらも、きれいな回転でシュルシュルと、スライスラインを描くパッティングのように戻ってくる様子に感激した記憶がある。だがその時、それ以上の感激を、それからおよそ10数年後、バルサ監督時代のクライフから味わえるとは思わなかった。

 現役の選手より、ずっと前に引退した監督の方が巧い。プレーするのはミニゲームの数分間だけだったが、練習場で彼はキレキレの技術を披露していた。

 選手より巧い監督。かつて日本代表監督を務めたジーコもそのひとりだ。ごくたまにミニゲームでボールを蹴っていたが、ほれぼれするぐらい巧かった。スポーツには「名選手、名監督にあらず」の格言があるが、サッカーはそうなりがちな競技だ。練習で選手より巧くボールを扱う監督=元スーパースターが、一流の監督でいるケースはほとんどない。失礼ながら、ジーコはそのクチになる。

「名選手、名監督にあらず」が大半を占めるサッカー界で、クライフは一番の例外と言えた。そこに監督としてのカリスマ性を感じた。

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